未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

半径5メートル宣言

過去と他人は変えられない。起ってしまったことをクヨクヨ悩んだりしても意味がないし、他人を支配して何かをさせようとしても徒労に終る。

人様に向って、何々をするべきだなどと声高に叫んでも、人は動かないし、ましてや日記やブログにそのような事を書いたところで、何の影響もない。なので、そのような事を書くつもりもないし、この日記を書くときの基本的なスタンスは、「べき論」を書くのではなく、自分だったら、こーするあーする、こーしたあーしたという実に身も蓋もない、瑣末なことを書きつらねる。従って、わたしという個人的な体験にもとづく非常に特殊な事例についてのお話である。まあ、こんなことを明示的に書くまでもないことかと思うが、それでも時々勘違いする人がいるので、忘れないように記しておく。

天下国家を大所高所から記すのも自由ではあるが、そーゆー「べき論」は、見事に空疎であって、それをわたしはこの日記で書きたいわけではない。しかしながら無人島に住んでいるわけではないので、当然社会との繋りにおいて、自分の立場を記す場合が多々ある。例えば、技術者にとって生き易い社会なんてことを大上段で考えた場合、ほげほげ総合研究所が頭のいい人をいっぱい集めて制作した「XXにかかる報告書」なんて立場ではなくて、技術者である「自分」にとって生き易い社会というのは、どーゆーものか、という立場で議論をしたい(願望)。

もちろん「自分」という社会的ななにがしかも単純な属性だけで識別されるものではなくて、社会の中で、「会社員」、「プログラマ」、「男」、「昭和」、「ヨッパライ」、「変なオジサン」、…、様々な属性を持つ。その様々な属性のなか、今まで生きてきた「自分」がいて、その自分にとってどうかという、それだけの話である。

そして社会が、そのような「自分」の集合によって構成されている以上、そのような人達との繋りのなかで、わたしたちは生きているわけで、真空の中で生きているのではないので、様々な影響を与えて、あるいは与えられ生きている。

自分に出来ることといったら、自分と直接影響のある人達とのやりとりのなかで、自分がよりいいと思うことを、淡々と実行していくしかなく、それ以上でもそれ以下でもない。

わたしは、それを「自分の半径5メートルでできることをする」、というような表現をするのだけど、自分に出来ることというのはそれの積み重ねだと思う。その半径5メートルですら上手くいかないことの方が全然多いわけで、人生上手くことなんか滅多にないわけで、だけど、それをもくもくとたんたんと生きていく。自分が出来ることを当り前にやる。当り前のことを当り前に出来れば一人前だ。それができないから皆苦労しているのだと思う。

他人を変えるつもりもない。他人を非難してもしょうがない。時には非難じみた物言いになるかもしれないけど、そうではなくて、自分がどう変われるか、自分が何をできるか、できることをもくもくとやる。それをわたしは、「半径5メートル主義」と呼び、これをもって、わたしの半径5メートル宣言とする。

わたしは、はてな日記で「半径5メートル」で何を言っていたか。

エンジニアの未来サミットに行ってきた 2008-9-14 http://d.hatena.ne.jp/hyoshiok/20080914#p1
それよりも問題は20代後半から30代前半の皆様で、会場に来ていた人達も、そのゾーンが大半だったわけで、その人達へのメッセージは間違いなく「自分の人生は自分で決める」だ。人のせいにしても問題は解決しない。食うためには自分で決める。自分の半径5メートルを変えてみる。やってみてだめだったら他のことをためす。

ひがやすお飲み会 2008-9-15 http://d.hatena.ne.jp/hyoshiok/20080915#p1
業界全体がしょぼくなっちゃあ困るだろう、マジョリティをどう盛り上げるのか、とかいう質問があったけど、自分に何が出来るかと言ったらほんど何もできない。出来無いけど、それが良いとは思っていない。自分が出来ること、半径5メートルの範囲で、やれることをやるだけ。まあ、そんな感じである。

世の中の大多数の人は動かない 2008-9-25 http://d.hatena.ne.jp/hyoshiok/20080925#p1
自分ができること、すなわち自分の意思でこの会場に来るという事をした、半径5メートルを変えた。すなわち、自分の人生を自分で決めた(d:id:hyoshiok:20080923#p1)。そーゆーことなのである。
難しくもなんともない。あなたは日常的にそのような決断を日々している。
人を非難しても罵倒しても、世の中は変わらない。世の中を変えるのは自分である。自分の行動である。

あいかわらづ、調子の良いことを言っている。