我が青春の東急東横線渋谷駅改札。
若い人には想像もつかないことだとは思う。おじさんの昔話だ。興味のない人はこんなどーでもいい話なんで飛ばしちゃってほしい。
あなたのお父さん、お母さんが青春だったころの話だ。
30年前(1983年ごろ)、わたしは大学院の学生だった。その年の春に東京ディズニーランドがオープンした。
当時は携帯もなかった。携帯がないころの待ち合わせと言うのをあなたは想像できるだろうか。そんなころの話だ。
飲み会を企画したとする。お店のあたりをつけ、参加者を確認し、予約をする。午後七時に店を予約したとする。現地集合でもいいのだけど、多くの場合は、最寄りの駅で集合していそいそとみんなでお店に行くというのがよくあるパターンであった。
例えば7時開始だとすると、6時45分くらいに駅で集合して、お店に行く。携帯を持っていないので、当日遅刻すると大変なことになる。時間厳守である。
7時頃渋谷に集合で店は予約していないんだけど、流れで店決めますなどいうのは原理的に不可能である。携帯がないから。
それでも遅刻する奴はいて、6時50分くらいに、しょうがないから店に行こうということになるのだけど、携帯がないので、お気楽に情報共有することができない。
渋谷駅改札である。
携帯はなかったということは先ほど言った。どうやって待ち合わせたか。
駅の改札に、黒板があって、その黒板に伝言を書いたのである。6時50分。よしおか君へ、先に行く。店はXXX。というようなことを書いた。リアル伝言板である。黒板にはチョークがおいてあって、そこに書くのである。
待ち合わせは駅の改札。遅れたら駅の伝言板。それが情報共有の全てだった。
意味が分からない。仮に、あなたが、タイムマシンに乗って、その時代に戻ったとしても、なんでそんなので情報伝達が出来たか、多分理解できないとおもう。
駅の改札に黒板があるというのも意味が分からないし、不特定多数の人が見る黒板に、よしおか君、XXXに行っていますと書くというのも、プライバシーとかどうなのよと思ったりして、理解不能である。
XXXに行っているというんだったら全然知らない人がそこに行っちゃったりしないのかとか考えれば考えるほど意味がわからない。
インターネットも携帯もスマフォもない時代である。
あなたのお父さんやお母さんが学生だった時代である。
当時私は日吉にある大学に通っていた。付属の高校の出身だったので、東横線は高校生のことからの通学の電車であった。五反田に住んでいたので、最短経路は目黒に出て目蒲線、田園調布乗り換え東横線、日吉というのが高校時代の通学経路だった。大学生になって、飲み会だなんだで渋谷を使うことが多くなったので、自然と通学経路は渋谷経由になっていった。
大学は工学部でクラスには女子がいなかったので、クラスメートと合コンでもするかという話になると、そーゆー場合は渋谷あたりで飲み会をすることが多かった。
その当時から飲み会は三度の飯より好きだったので、飲み会とかには動物的な勘で参加していた。
なんだかよくわからないのだけど、クラスの飲み会は、日吉とか自由が丘とか学校のそばが多かったのだが、合コンになると相手もあることなので、もうちょっと都心に近いところで、渋谷とか六本木とか、新宿とか池袋になったりした。
その中でもやっぱり自分たちのアクセスがよいところということで渋谷が多かったような気がする。
話が長いね。
クラスには女子がいなかったということは先ほど記した。男子校みたいなものである。クラスの飲み会は日吉あたりの安い居酒屋で行うのだが、合コンとなると、他大学(女子大)の皆様の利便性も考え、山手線沿線にどうしてもなる。それが渋谷だ。
携帯がないから、待ち合わせが駅の改札である。
それが東横線渋谷駅の改札である。
7時前。駅の改札で、初対面の大学生、男女が、ぎこちなく、あのーー、誰々さんですか、などと探りをいれる。うひょーーーー。
話が長いね。
そーゆープロトコルが実にどきどきする。
それが青春である。
83年3月。大学院の一年生で、人生で一番勉強をしたのではないかと言うくらい、勉強をしていた。山のように論文を読んでいたし、研究室の同期の中では間違いなく一番図書館で論文をあさっていた。読んで理解しているかどうかは別としても、コピーした論文の量は誰よりも多かったと思う。いや、まじで、多分、人の10倍以上はコピーしていた。
そんな青白い大学院生がわたしである。
大学院の一年生のころつき合っていた女子に、よくわからないのだけど、あっさり振られて失意のどん底にいたのが、ちょうど30年前のいまのごろである。
振られたのだけど、仲のいい友達ポジションはキープしつつ開業したばかりのディズニーランドに一緒に行ったりして、いまから思うと痛々しい。
東横線の話だ。
渋谷から30分くらいの乗ると日吉につく。
多摩川を超えるところから富士山が見える。冬の空気がはっきりしているころには富士山がよく見えて、それをみると、一日なにか縁起がいいような気がした。
田園調布、多摩川園、そして多摩川。富士山を眺めるのが好きだった。
まあそれはそれとして渋谷駅である。
朝、渋谷から東横線にのる。始発。その中で、なんだかよくわからないのだけど、つきあっていた子の友達によくあった。よしおかさん、振られちゃったってよ、みたいな話はなぜか共有されている。
そーゆーことはどうでもいいのであるが、日吉までの30分ほど、どーでもいい与太話に興じる。
それが青春である。
彼女に振られたんだけど、東横線でその彼女の友達と与太話をするのがとても楽しかったことを覚えている。
よしおかさん振られちゃったよ。
いまから思うと本当にどーでもいいことに悩んでいて、タイムマシンがあるなら、こまけーことはいいんだよ、とか言ってあげたい。(言わないけれど)
東急東横線渋谷駅改札である。
そんなこんなの思い出がいっぱいつまった東急東横線渋谷駅改札が無くなると言うので昨日会社の帰りによってみた。凄い人出でみんなスマフォで写真をとっていたりする。改札脇の伝言板なんかはとっくの昔になくなっていた。