技術指向のネットベンチャー
2000年ころの話だったと思うのだが、大橋禅太郎氏の「すごい会社」 *1に遊びに行ったとき、いろいろネット企業のあれやこれやを聞いた。日本でもビットバレーがどうだとか言ってITバブル絶頂期のことである。当時の米国のシリコンバレーの空気はともかくユーザー数拡大が至上命題でそのためにありとあらゆる手を使ってユーザー獲得に奔走していた。利益をどうやって出すかという企業の当たり前の論理がどっかに忘れ去られていて、とにもかくにもユーザー数みたいな空気が蔓延していた。
ユーザー数を指数関数的に増加させるとなにが起こるかというとネットサービスのインフラをそれに応じてスケーラブルに増加させなければいけない。サーバー、ストレージ、ネットワークバンド幅それぞれを急速に拡大させる。最初は数台ではじめたものがあれよあれよという間に100台を超え、数百台になりという感覚である。当時の黄金のパターンはフロントにウェッブサーバ多数、後ろにOracleのクラスタをSolaris/SPARCで動かすという感じだった。すぐにSPARCはPCサーバ+Linuxにおきかわちゃったけど。まあ、当時はバブルだったので、Sunのマシンがごろごろしていたんだろうなあと思う。
当時のビットバレーの会社の実力がどの程度のものかは間接的に知るしかないが、楽天もオン・ザ・エッヂも、サーバーを山ほど運用しているというタイプの会社とは到底思えなかった。当時日経BPがビットバレーの創業間もないベンチャーを紹介した本を出していたが*2、その本を読んだ印象では、当時のネットベンチャーはウェブ製作会社の範囲から飛び出ているとは思えなかった。
小飼氏がまだエッヂにいたころ彼と話す機会があってデータホテル構想を伺ったが大変失礼ながら当時のエッヂには大規模データセンターを運用した実績もなかったしノウハウもあるようには到底思えなかった。日本にネットベンチャーを根付かせるためにはインフラとしての大規模データセンターが必要だし、それを運用する経験とノウハウを持った人材が必要である。その分野にエッヂが参入し向こう側の会社になろうという志を持ち続けていたら歴史はまた違った方向にいったかもしれない。会社のコアコンピタンスとしてビジネスの根幹としてのデータセンター事業を発展されていればなあと思うが、歴史はそうはならなかった。
日本のITバブルが、IPOで合法的な錬金術としてもてはやされていたころ、海の向こうでは、同じバブルに踊りながらも、そのベースとしてシリコンバレーのデータセンターをささえるテクノロジとそれを運営する人材を持っていたのである。大規模データベースを運営した経験をもつ技術者がごろごろしていて、スケーラビリティの問題が発生すればそれこそ鼻歌交じりにチューニングするプロ集団が跋扈するという地域がシリコンバレーなのである。
梅田望夫(d:id:umedamochio:20060313:p2)の「虚業という言葉について」というコラムを読んで、なんとなくそんなことを思い出した。ビットバレーにどんなコアコンピタンスがあるのか?などと生意気にもわたしは6年前言っていたような気がする。梅田が仮に6年前、ホリエモンにあって後にWeb2.0として知られるインターネットの怖さすごさ可能性をとことん議論していたら、日本はもっと幸せな社会になっていたかもしれない。もちろん、そんなことはありえないけど。
関連するお話としてhttp://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20060127/p1とhttp://d.hatena.ne.jp/naoya/20060127/1138329840にリンクを張っておく。
*1:ガズーバ!―奈落と絶頂のシリコンバレー創業記、 ガズーバ!―奈落と絶頂のシリコンバレー創業記 (Impress business books)
*2:ネットで探したらビットバレーの鼓動、