未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

状況に埋め込まれた学習

われわれは学習というのを学校制度の中のかぎられた活動という風にとらえがちである。もちろんそんなことはない。わたしたちは日々の生活のなかで、あるいは仕事の中でなにがしかを常に学んでいる。学び続けている。

単に形式化され言語化された知識を獲得することが学習なのではない。

徒弟制度のような非熟練者が熟練者のもとで作業に参加することによって技術を習得していく方法について焦点を本書はあてている。

ソフトウェア開発コミュニティへの参加ということが、オープンソースの発展によって、より開かれた形になり、一つの企業に属さなくても自由にできるようになった。ごく限られた範囲でしか見聞き出来なかったソフトウェア開発のベストプラクティスがオープンソースコミュニティによってインターネットを介して自由に流通している。

その事例を間近で見聞きするにつれ状況に埋め込まれた学習の有効性を確認することができる。

本書の訳者あとがきで、本書の立場(正統的周辺参加論、以後LLPと略す)と従来の教育論とのはっきりことなる点を以下に上げている。(1)学習を教育とは独立の営みとしたこと。(2)学習を社会的実践の一部であるとする。(3)学習とは「参加」であるとする。学習によって人は何かに貢献する、行為する、という「する側」にたち、「される側」/「見る側」ではない、ということである。(4)学習はアイデンティティの形成過程であるとする。すべての学習がいわば、「何者かになっていく」という、自分づくりなのであり、全人格的な意味での自分づくりができないならば、それはもともと学習ではなかった、ということである。(5)学習とは、共同体の再生産、変容、変化のサイクルの中にあるとする。(6)学習をコントロールするのは実践へのアクセスであるとする。

LLP的な立場から勉強会やオープンソースのコミュニティの方法論を整理しなおすと、自分の向かおうとしていたことが極めてすっきりと表現されているように感じる。コミュニティには、学習の機会、参加の機会があり、そこに参加することによって自らを成長させていく機能が備わっている。

コミュニティの中に熟練者(マスター)を見出し、そこに弟子入りする。マスターの所作から一つ一つ技量を学んでいく。それはまさに社会的な実践であり、参加であり、アイデンティティの形成であり、コミュニティの再生産、変容、変化のサイクルにある。マスターが初心者を導くのは実践へのアクセスである。本当の現場であり、そこでのリアルな問題をリアルに解いていくことをアクセスさせる、それがマスターの役割である。

われわれが、勉強会やオープンソースのコミュニティに向かうのは、そこには状況に埋め込まれた学習の場があり、自分の成長の機会とアイデンティティの形成の過程があるからなのかもしれない。

ソフトウェア開発の技量を高めたい若者が、勉強会にその道の達人を探しに行き、コミュニティの門を叩くのは、そこが現代の徒弟制度として機能しているからなのではないだろうか。

企業内にそのような環境を作ることは企業にとっても喫緊の課題であることは間違いない。本書を読んでその思いを強くした。

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