未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

許可を求めるな謝罪せよ。(Don't ask for permission, beg for forgiveness )

インターネットなんつーものはね、許可なんか求めていないクレージーな人たちによって作られてきたんだよ。それによって社会はすごくよくなったんだ。もし彼らが許可を求めていたら何も起こらなかった。そんな社会を我々は求めているのか。そーゆーことだと思う。許可を求めるな。謝罪せよ。
http://twitter.com/#!/hyoshiok/status/33183999060873216

この「許可を求めるな。謝罪せよ」というフレーズは@kawagutiに教えてもらったのだが、彼は@hiranabeから3Mの社是として聞いていて、その心はというと、ともかく試してみてうまくいかなかったら、その時また考えるというような趣旨の行動規範ということらしい。*1

関係各位の許可を求めていたら絶対物事は進まないし、何も始まらない。何かをやってうまくいくこともあれば失敗することもあって、その試行錯誤によって人は学んでいく。延々と議論ばっかりして思い悩んで何もしないというのは単に時間を浪費しているだけだ。

なんでもやってみなはれ。そーゆー精神だ。そーゆー行動規範だ。うまく行かなかったら、ごめん、うまくいかなかった、これに懲りずにがんばろう。そーゆー行動規範だ。

これは、いまの日本の「これは大丈夫ですかね」「ちょっと検討したほうがいいですよね」「許可とっていないですよ」的な会話にある、コンプライアンス重視という名を借りた許可を求める文化と対極にある、チャレンジ精神である。

許可を求めるという行動は、許可をされていないことは決してしないということで、指示されたことはやるけど、指示されていないことはやらないということの裏返しだ。

別に私はもちろん法律違反を勧めているわけではない。最低限の守るべきルールはある。それを仮に共通善(Common Good)的ななにものかとして、その範囲の中で、もっと自由で豊かな社会を作りたいという意志の元、なにかをやってみるという行為に価値を見出す。出る釘を伸ばす社会の方がそうでない社会よりも健全だと思う。

自分で考えて自分で行動する。それだけの話だ。もちろん、それは誰かに指示されるより自分で考える分大変だ。責任も伴う。何かをやってみる、ハッカー精神でもある。FacebookTwitterGoogleも、そーゆー精神でやってきたんだと思う。そーゆー行動規範を共有したいと思う。

3Mの社風

下記に3Mの社史みたいなのがある。
http://multimedia.3m.com/mws/mediawebserver?mwsId=66666UuZjcFSLXTtlxMt4xT6EVuQEcuZgVs6EVs6E666666--&fn=3M_COI_Book.pdf
それをみると"It is easier to ask forgiveness than permission. With a sincere attitude toward one’s work, the chances of doing real damage or harm are small. Consequences from bad calls, in the long run, do not outweigh the time waiting to get everyone’s blessing."というようなことが書いてある。『許可を求めることより許しを乞う(謝罪する)方が簡単である。ひたむきに仕事をすれば、深刻なダメージや危険にあう可能性は低い。間違った決定による時間が、長期的にみて、みんなの許可を得るために待つ時間を上回ることはない』

ともかくやってみるという行動原理が社会を少しずつよくしていく。許可を求めるな。謝罪せよ。

*1:http://twitter.com/#!/hiranabe/status/7680828586856448 見つけた!@hyoshiok @kawaguti "It is better to seek forgiveness than to ask for permission" http://bit.ly/epxgnq