Twitterはバカ発見機か
TwitterとかFacebook最近ではGoogle+のようなつぶやき系のSNSが流行ってくると、日記やブログのようなちょっとした意見の塊を書き下ろすのがちょっと億劫になってくる。わざわざ日記に書くことでもないあーだこーだを記す気力も残っていない。
それでも、セキュリティ&プログラミングキャンプのような相当エネルギーを使ったイベントに関しては何か書いておかないと損な気がして気力を振り絞って書いたりする。だけど、日記なんてものはそもそも個人的なものだからそんなに無理をする必要もないと思ったりもする。自然体で書きたければ書けばいい。
とはいうものの、Twitterはつぶやきは流れて行くのでやっぱりちょっとはストック系の考えをまとめておきたいというのも人情だったりする。
Twitterはフローで日記はストック。書く内容も異なる。書く時の心構え(?)も異なる。前者は今やっていることを書き、後者はちょっと前にやったことを書く。前者は反射神経、後者はちょっとは推敲をしたりする。それがフローでありストックである。
自分は一人しかいないのでフローの積み重ねがストックになる。日々の泣き笑いが自分を作っていく。怒ることも笑うこともある。喜怒哀楽の積み重ねが自分である。
Twitterで飲酒運転をしたとか、カンニングをしたとか、違法行為あるいは違法とは言えなくてもちょっとどーなのよということをつぶやいている人がいる。@sonodamはTwitterはバカ発見機だと言っていたけど、人は多かれ少なかれおばかな存在であって、いいこともするが悪いこともする、人を信じることもあれば、裏切ることもある。
できれば誠実に生きたいと思うし、人からは裏切られたくはない。だけど、人は不誠実なものでもあり、嘘をつく存在でもある。
結局、バカ発見機に発見されないためには、Twitterで日々の行動をつぶやかないようにすることではなく、自分が自分に対して誠実に生きることしかない。時として、自分の発言から意図をしないで、人を傷つけることがある。意図しなかったからといって免責されるわけではない。その行為について自分の落ち度を認め、それを繰り返さないために何かをする。未来に向かって何かを行動する。その積み重ねなのかなーと思ったりする。
自分がバカであれば、不誠実で鼻持ちならない存在であれば、おおかれすくなかれそのような存在であるということは知られていく。今まではTwitterみたいなインターネットにおける拡声器がなかったので、会社の同僚とかごく一部の限られた人にしか、自分のバカさ加減は知られなかっただけの話である。