エンジニア適職フェアで講演をした
http://type.jp/s/fair/e/
今回の講演は、パワポを利用したお話ではなく、司会の伊藤さんとの対談というような感じで行った。
パワポなしの講演に初挑戦である。
ざっくりいって、プログラマ視点からのIT業界のこの30年みたいな感じの与太話である。
昔は、ソフトウェアを作りたければハードウェアベンダーに就職するのが当たり前で、その後、ソフトウェアベンダーが台頭して来たので、そこで働いて、90年代中頃以降インターネットの出現によって、IT業界のソフトウェアを作るところもごろっと変わった。
ソフトウェアを作るのがごろっと変わったというのはどういうことですかという伊藤さんの質問。ソフトウェア製品を作ることとウェブサービスの作り方は全然違う。例えば、OSでもRDBMSでもソフトウェア製品は出荷してインストールしてもらって使ってもらう訳で、出荷後に変更することはできない。組み込みソフトウェアも同じだ。一方でウェブサービスは出荷しない。インターネットの向こう側にあるので、AがいいのかBがいいのか、試すことができる。変更がすぐできる。ソフトウェア製品の変更は年の単位。一方ウェブサービスは月とか週の単位でどんどん変更できる。
プログラマとしてどこに軸足をおくのか。
世界第二位のコンピュータベンダーだっていとも簡単につぶれちゃう業界なんだから、それにそなえるということはどういうことなのかとか。
イノベーションのジレンマというのはこれは避けられない必然なので、破壊的なイノベーションを受けて沈む側にいるのか、それともそれをしかける側にいるのか。正解はないけど、そーゆーことを考えた方がいいかもしれない。
だけど、中にいると破壊的なイノベーションで自分の会社のビジネスが破壊されているということは残念ながらなかなか気がつかない。気がついたときにはもう遅い。
DECはIBMが作った汎用大型機(メインフレーム)の世界をミニコンピュータという破壊的なイノベーションで破壊する立場だった。80年代飛ぶ鳥を落とす勢いであった。
それが、PCやUnixワークステーションという次の破壊的イノベーションに破壊されてしまった。
成功体験をアンラーニングすることが非常に難しい。
OSSもソフトウェア業界にとっての破壊的イノベーションだ。Oracleという会社にいて、製品を無償公開するというのはありえないし、クレージーだと思った。どう考えてもうまく行く訳がないと思った。無償公開するだけではなく、一番重要な価値の源泉のソースコードを公開するというのも意味が分からなかった。だけど、一方でその動きにとてもわくわくしている自分がいたことを覚えている。
1998年3月31日(日付も鮮明に覚えている)にNetscapeのソースコードをダウンロードして、モデムでピコピコして、昼は会社でRDBMSのカーネルをいじって、夜は自宅でNetscapeのソースコードをいじっている。どう考えてもおかしい、クレージーだと思う。
インターネットはOSSによってできている。LinuxやApacheやらみんなOSSだ。
自分はアンラーニングすることが難しいということを知っているし、時々、破壊的イノベーションが起こるということも知っている。なので、どう考えてもだめだろうというアイデアも大抵はだめなんだけど、ひょっとしたら破壊的なイノベーションなんじゃないかと思って無条件に否定しないように気をつけている。
自分はいったい何者になりたかったんだろうか。
IT業界のこの30年間は、本当に変化に富んでいて面白かった。DEC時代の憧れのエンジニアにわたしはなれただろうか。そんなことを思ったりする。自分にとってのロックスター。自分は誰かにとってのロックスターになれただろうか。
土曜日の昼下がり、わざわざわたしの与太話に一時間もおつきあいいただき、ありがとうございました(ぺこり)