未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

大学時代のクラス会があった

自分が大学に入学したのは1977年なので40年前だ。当時はスマホやインターネットどころか、携帯もPCもなかった。若い人は想像もつかないかと思うが、スマホがない時代があった。スマホがなくてどうやって電話をかけるのか?Googleがなくてどうやって検索をするのか。Amazonがなくてどうやって本を買うのか。東横線は渋谷が終点で、改札口は駅員さんがいて、切符を回収していた。Suicaもない時代だった。切符を人力で回収というのは想像もつかないかもしれない。そんな時代だ。

それはともかく、僕たちは1977年に大学に入学して同じクラスになった。その連中とクラス会を行った。毎年、忘年会のシーズンと夏頃にはなんやかんやいって飲み会をする。幹事の新さんがいつも企画してくれている。ありがとう。

11人が集まった。タイで食品会社の社長をやっている柴さん、商社から自動車会社に転職した鈴木さん、いつも幹事をしてくれている建築業をやっている新さん、中東から帰国した富田さん、滋賀に単身赴任している浅田さん、メーカーから特許庁に転職した富樫さん、車メーカーからバイクメーカーへ渡り歩いた醍醐さん、大手電機メーカーの田中さん、富士通から関連子会社の社長になった玉谷さん、大手電機メーカーから米国コンピューターベンダーに転職した前田さん、そして私という面子だった。

年齢は60前後なので会社員なら定年間際だ。

タイで食品会社の社長をしている柴さんは元気なうちはずっとタイで働くそうだ。みんなタイに遊びに来てねーと言っている。建築業をやっている新さんを除けば、皆、会社員だ。定年である。65歳まで今の会社で働くという人が多い。特許庁は特に定年というのはないので、しばらくは勤めていられるそうだ。何年か特許庁で働くと弁理士の資格を取ることができるらしい。

大手電機メーカーだと60歳を過ぎると給与が激減する。それって随分ひどい話だと思うのだけど、会社としてはいかにして人件費を削減したいというようなことなのだろうか。

今までの経験を生かした形での転職先とかを見つけるのは難しいのだろうか。そんなことを思った。

自分より奥さんの方が手取りが多いという人もいる。羨ましいところである。

自分は特に手に職があるというわけではないが、なんとなくどうにかなるのではないかと楽観している。一つのところだけに収入源を依存しているのは危険なので、今後は副業などについても考えていきたい。60歳を過ぎてからの仕事、転職先などについて、いろいろと考えていたりする。

20世紀の会社員の典型的なロールモデル、一つの会社に定年までいて、退職金をもらって、年金で生活をするというのは、自分の場合はすでに崩壊しているので、60歳以降の働き方をじっくり考えて実践していく必要がある。

さしあたりは、副業収入の比率をどのくらいにするか、何をしていくら稼ぐのかなどの設計をしないといけない。人生に正解はないけど同世代の生き方を参考にしつつ考えたいと思った。

おちも結論もない、とっちらかった日記ですみません(ぺこり)