未来のいつか/hyoshiokの日記

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六本木戦記、久富木隆一著、濫読日記風 2018、その1

2018年あけましておめでとうございます。

昨年(2017年)は本の感想を主に濫読日記風というタイトルでまとめていた。今年も懲りずに読書記録としてつけていきたい。2017年は「その51」まで行ったが、年も明けたので、番号はリセットして2018その1として始める。

自分のスタンスは、あくまで「書評」というようなものではなくて、自分が読んでの感想・印象をそのまま綴ったものとする。対象とする書籍などは玉石混合ごった煮だ。取り上げたからといって、必ずしも良書、読むべき本、あるいはオススメとは限らない。各自読む読まないは自分で判断していただきたい(当たり前だけど)。資料的な価値というよりも自分にとっての備忘録である。あらかじめご了承いただきたい。

年末読んで最も面白かったのは下記のブログだ。濫読日記風でブログを取り上げるのは初めてだ。

六本木戦記 | Wander Alone Like A Rhinoceros Horn

自分はエスノグラフィー(民族誌)の手法にはかねてから興味があるのだが、IT業界にこそ民族誌が必要だと考えている。自分自身がいるこの業界のことを自分はよく知っているのか、そんなことを思う。他社の事情はどうなんだろうか。業界をもっとよく知りたい。民族誌はそのような情報を提供してくれるはずだ。

このブログは著者が主にグリー株式会社での経験(2010年末から2017年4月頃まで)を綴ったものとなっている。ゲーム業界にいる著者が内側からその経験を語る手法はまさに民族誌そのものと言ってもいいのではないだろうか。

多くのいわゆる「退職エントリー」というものが単なる自分語りと前職への恨みつらみの発露になっている。そのようなものを期待しているのではなく、自分の経験からの学びを、外側の人へ伝える行為を通して、業界の置かれている状況などを理解するきっかけになることを期待する。

この「六本木戦記」は、もちろん個別の事情は記されているが、表現が単なる事象の列挙にとどまらず、その中のある種の普遍性を掬い取ろうとしている。そして、その作業は成功しているように見える。

そこで、2017年も終わりゆく今、長居した会社を辞めて環境を変え、時間を置いて自分の体験を客観視できるようになってきたこの機に、蔵出し的に書いてみるのはどうか。FacebookTwitterはよく更新しているが、ある程度長い文章を構想し組み立てる営為にはソーシャルメディアへの衝動的投稿とは異なる類の楽しみがある。
(中略)
であれば、私自身の退職イベント自体は単なるきっかけ、材料に留め、会社に入る前から出た後までの実体験や得られた知見の総括とそれに基づき考えさせられたことを中心に据えてこの文章を構成してみるのはどうか。

実体験といっても、退職エントリーで仕事を募集する人がよくやるように経てきた業務の目録を展開するだけでなく、もう少し心象に寄せていく。後から見返した評価とは別に、私がリアルタイムで感じた気分を当時の文脈上で再現して伝えられるスナップショット的エピソードを拾っていくつもりだ。つまり、文字通りエモい内容となる。

IT業界の民族誌としてMicrosoftWindows NT開発チームを描いた『闘うプログラマー[新装版] ビル・ゲイツの野望を担った男達』が有名で多くの人が目を通したと思う。未読の人は90年代のソフトウェア製品開発現場のドキュメンタリーフィクションとして読むことを勧める。

ソフトウェア製品開発の経験がない人にとっては、読み進めるのがちょっと苦しいかもしれない。しかし、物語としてエキサイティングな構成になっている。

この「六本木戦記」は、『闘うプログラマー[新装版] ビル・ゲイツの野望を担った男達』を意識して書かれている。

彼は、1995年頃大学でインターネットに遭遇し、スタートアップに勤務したのち、2010年ごろグリーに転職した。大学は法学部なので、プログラミング言語は独学で習得した。

グリーに転職したきっかけについても詳しく記している。このような記述は転職を考えているエンジニアにとって参考にはなるだろう。

グリーからの転職活動についても詳しく書かれている。能動的にどのように動くかの事例は多くのエンジニアの参考になるだろう。転職というのは、とてもエネルギーがいる作業だ。多くの人は、そのコストを払うのが億劫で現状維持を選択する。

ゲーム業界に詳しくない者にとって、様々な業界のジャーゴンを知らないと、このブログの内容を楽しめないかというと、程度問題ではあるが、そんなことはないと思う。

例えば、Beyond3D Forumなるものについては全く土地勘も知識もないが、特にそれについて知らなくても、このブログを楽しむことはできる。自分は知らない単語が出てきたら、とりあえずスルーして前に進んだ。

個別の技術やコミュニティーについて議論するのではなく、そのコンテキストを語っているので、その知識があったら、それなりに深い理解にはなると思うが、なくても特には困らなかった。最低限の説明はされているように思う。

一方で、ゲーム業界、スマホゲーム業界、ウェブ業界、SI業界などの区分はその外にいる人たちにとっては全くもって不可解な地勢図であろう。

そして、著者が記した『ゲームアプリの数学 Unityで学ぶ基礎からシェーダーまで』という本の執筆の狙いなどを詳しく解説している。この記述は自分にとって、非常に面白かった。

その後、グリーの米国事業での撤退戦を任されたりするが、ここでは省略する。

そして、2016年夏に「Pokemon GO」が転職を決意させる事件となった。

2人の巨人が手を結んで実現した、夢のタイトル。夏の花火のように散っていく虚無的なゲームから、社会を動員するゲームへ。その、圧倒的な力の拳が天から降り注いでくるような勢いに、完膚無きまでに負けた気がした。子供同士の喧嘩の場に突然大人がカジュアルに割り込んできたかのような衝撃があった。ゲームというメディアが現代において持ちうる、人々を突き動かす力を実感するとともに、比類なき高みにまで引き上げられた競争のハードルに畏怖した。
(中略)
世界は広い。私は、もっと広い世の中を見てみたくなっていた。

グリーないしAmazonという誰でも名前を知っているような会社の内側にいることによって、外側からはうかがい知れない経験をする。その経験を抽象化し機密情報などを捨て去って言語化する。その作業がすなわち民族誌的なアプローチだと思う。

日本という地域にいて、その現場を知るまたとない機会をこのブログは提供している。

分量もさることながら、その質は極めて高かった。一読をお勧めしたい。

当該ブログをきっかけに著者の『ゲームアプリの数学 Unityで学ぶ基礎からシェーダーまで』を早速購入し拝見した。こちらの感想は別途記したい。


IT民族誌

断片的なものの社会学、岸政彦、読了 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

濫読日記風 2018

(続く)