未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

かつての日本脅威論

わたしは80年代米国系のコンピュータ会社の研究開発センター(日本子会社)に勤務していた。なんで日本に研究開発センターを作ったのか、とかつて所長に聞いたことがある。優秀な人材を雇用するためだと彼は答えた。

当時のわたしの初任給がいくらだったかよく覚えていないし、米ドルが何円(200円近くしたと思う)だったかも定かではない。しかし、サマーインターンできていたMITの学部の学生が米国本社に採用されたときの初任給が3万ドルだか4万ドルだか忘れたが我々の給料よりも倍以上高かった事だけは鮮明に記憶している。我々の人件費は確かに安かったのである。

わたしは米国本社で働きたいと強く思っていた。それは技術の本場で自分のスキルを伸ばしたいと言う事ももちろんあったが給与水準の高さも魅力ではあった。

後に東海岸にある米国本社のデータベース部門で働く機会を持ったのであるが、その事については、そのうち時をあらためて記したいと思う。ちなみに当時のわたしのボスの名前は Steve Hagan という。

オフショア開発を可能としたインターネットを基盤とする広域分散開発環境についても、そのうち記してみたいと思う。