未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

はじめの一歩(花見の想い出)

二十年前、わたしは新入社員だった。

会社は三番町にあって、歩いてすぐの千鳥ヶ淵靖國神社の桜は見事だった。

新入社員のわたしの最初の仕事は、会社の花見の場所取りであった。昼休みころ場所取り隊出陣である。新入社員6人で交替で夕方まで場所を確保する。場所取りにはそれなりの掟と言うものがあるのだが、それについては略す。

実を言うと、東海林さだおのサラリーマン漫画みたいな展開で、「わたしもこれで立派な社会人だな」としみじみ思ったのである。

花見の場所取りをするために学校を出たんじゃねえや、ばかやろおーーーーーーー、

なんてことは露とも思わず、むしろ、うひょうひょ、これが大人の世界なのだなあ、ぐふふ、勉強になるなあ、これからのサラリーマン生活、学生時代では決して味わえないようないろいろな経験をするのだろうなあ、ちょっと愉しみだなあ、てな感じである。

さすがに、いまこの歳になって、「じゃ、花見場所取り行ってきます」とか言って会社をサボって千鳥ヶ淵で半日過ごすなんてことはできない。ある意味で牧歌的な古き良き時代である。新人にしかできない経験かもしれない。

交替で夕方まで場所を確保したわけであるが、6時頃から先輩社員が少しずつ登場してくる。

わたしは外資系の今は亡き某コンピュータベンダーに勤めていた。本社から出張でたまたま来ていたアメリカ人のエンジニアも参加したりする。「おー、ちぇりーぶろっさむ、べりーびゅーてぃふる」である。「あいあむにゅーぐらでぃえいと、あいじゃすとすたーてっどつーわーくでぃすかんぱにー」

やっぱ、外資系だな。いきなり英語で自己紹介をさせられたりする。すげーぞ。

そのアメリカ人は(その当時わたしは外人と言うのは全員アメリカ人だと思っていた。なんというか乱暴な話であるが、事実であるからしょうがない)、京都で開催される国際標準かなんかの会議に出席するために日本に来ていた。(後にそれはマルチバイト文字コードの標準ISO SC22/WG2の会議であると知るのだが、新入社員はもちろん、そんなことは知りもしない)

上司が"Hi Tom, could you tell him a development history of the VAX?"
とそのアメリカ人に言った。

VAXというのは、70年代後半から80年代に売れに売れた当社の主力製品である。

VAXは憧れのコンピュータであった。当時VAXの命令セットは高級言語向けにいろいろ便利なものがつまっていたり、VMSという専用OSが用意されていたりした。

そのエンジニアはVAXのアーキテクトであった。

VAXのアーキテクチャーはVAXーAというコミッティーで議論され、ハードウェアの専門家、ソフトウェアの専門家からなる5人のシニアなアーキテクトがVAXの命令セットなどを設計したという。その一人であるという。

英語が必ずしも得意ではないわたしが彼の話のどれほどまでを正確に理解できたかは心許ない。しかしわたしの目の前にいるこのエンジニアがVAXを作った男の一人であると言う事実が、新入社員であるわたしに強い印象をあたえたのは間違いない。

技術的に優れているだけではなくて市場で広く受け入れられたのはなぜなのか?疑問はつきない。プロジェクトはどんな風に進められたのだろうか?どんな問題があってどんな解決があったのだろう。

新入社員は彼の一言一句を聞きもらすまいと必死だった。

たかが花見である。

しかしその花見の席でわたしは本物のエンジニアと出会った。そして本物のエンジニアといっしょに仕事をしてみたいと思った。いつの日かわたしもその本物のエンジニアと呼ばれるような者になりたいと強く思った。

道は遠い。この道を歩いていけば彼に一歩でも近づけるのだろうか?しかしわたしの前にはそこにいたる道があるように感じた。