未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

シリコンバレーのプログラマは本当に凄いのか(続き)

昨日勢いにまかせて

素人を何人やとっても競争力のあるソフトウェアは作れないのである。当たり前である。だけど日本では当たり前ではないというのがなさけない。

などと書いてしまったがちょっと反省。

ご承知のとおり日本で製品として売り出されているソフトウェアというのは国際競争力がまったくない。http://d.hatena.ne.jp/hyoshiok/20040324 でも記したが、日本のソフトウェア輸入は9189億円(2000年)に対し輸出は90億円である。ほとんど誤差の範囲といっても過言ではない。

この日記の読者はプログラマの方は少なくないと思うが、自分の開発しているソフトウェアが輸出されているという人はどのくらいいるだろうか?ほとんど皆無に近いのではと想像する。一歩譲って商用製品としてのソフトウェア開発に従事している人はどのくらいいるのだろうか?アプリケーションソフトウェア、つまり顧客の要求に従って生産するソフトウェア開発に従事している人は多数いると思うがソフトウェア製品ではどうだろうか?日本国内のソフトウェア市場というのがどのくらいの規模のものかは知らないので(誰か統計を教えてください)、そのうちどのくらいの人がソフトウェア製品開発に従事しているか皆目見当がつかないが、そんなに多くないような気がしている。(数万人?)

これは産業構造上の問題で誰が悪いとかいいとか言ってもしょうがないが、ニワトリと卵みたいなもので、(製品としてのソフトウェアを作る)ソフトウェア産業がないからプログラマが育たないのか、プログラマがいないからソフトウェア産業がなりたたないのか?

個人としたらどーせーちゅうんや、みたいな感じかもしれない。

わたしの個人的な体験から言うと、プロのプログラマとしてキャリアを積むには結局シリコンバレーに行くしかなかったのは、日本にソフトウェア産業がなかったからである、ということになる。ソフトウェア産業がなかったからというのはちょっと言いすぎのような気もしなくはないが感覚論としてはそんな感じであった。

しかしわたしは日本に戻ってきた。

インターネットやオープンソースモデルのおかげで大企業に属さなくても大規模なソフトウェア開発にコミットできる可能性が突然目の前に広がった印象を持った。1998年のころである。OSの開発などというものは、一昔前はIBMやMSやSunやDEC(今はないけど)のような大企業か、一部の研究所にしかなかったのである。それがどうだ、高々30人前後の規模の会社がまがりなりにも商品としてのOSのパッケージを開発し販売している。

そーゆー時代である。

日本にも凄いプログラマはいる。間違いなくいる。しかし今まではそのスキルや専門性を生かす場所がほとんどなかったのである。

であるならば、小さくとも当事者として自分がその場を作る。そーゆー意気込みである。Jリーグみたいなものか?(おおげさだな>自分)

もちろん意気込みだけでは飯を食えない。持続可能なビジネスにならないと話にはならないが、日々格闘しているのである。

シリコンバレープログラマは本当に凄いのかから全然関係のない話になっちゃいました。すんません。