未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

高校のころ

1970年代の中ごろの話である。日経サイエンスという雑誌があってそれにIC(集積回路)の写真が載っていた記事を読んだ覚えがある。マイクロプロセッサとよばれるコンピュータの心臓部分の写真だった。インテルの4004だか8008だかあるいは8080だかは忘れたが碁盤の目のような写真は美しかった。

当時わたしは高校の数学研究会という何をするかわけのわからないクラブに入っていて放課後とりあえづわけもなく部室にいき部室の壁にペンキを塗ると言う作業を誰に言われたわけでもなく特に情熱もなく行っていた。退屈をしていた。

付属の高校だったので受験勉強をしないでもとりあえづは大学に行けると言う恵まれた環境にいたため学校の勉強をまじめにしたと言う記憶はない。

大学にはメインフレームコンピュータ(いまはなきUnivac製のコンピュータ)があって、いくばくかの利用料金を払うとそれを自由に利用できるという特権を我々は持っていた。コンピュータのプログラムを作ると言うのはパズルを解くような不思議な魅力があって、同好の連中が数学研究会に集っていた。数学の成績はさっぱりだったがコンピュータプログラムを作ることは嫌いではなかった。大学のコンピュータプログラムの講座を履修したりした(勿論単位にはならない)。COBOLFORTRANLISPといった古典的プログラミング言語を習ったのはそのころである。

そしてマイクロプロセッサが世界を変えると言う予感だけは強く持っていた。いつの日か自分専用のコンピュータを持ちたいとも思っていた。当時自分専用のコンピュータを持つと言う妄想を持つ高校生というのはそれほど多くはないだろうが「数学研究会」の連中はそんな連中であった。高校3年の時に何人かの新入生が入部した。その一人に梅田望夫という男がいた。20年後にシリコンバレーで再開した。