未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

床屋談義

うわーー、いっぱいコメント&トラックバックありがとうございます。やっぱり、人材育成とか、そーゆー話題だと食いつきいいっすね。ext2がどーだとか/homeの復旧がどーだとかいう話題に比べりゃ、誰でもいっかごん持つからかもしれない。

そーゆーわけで、ここは厳密な議論を重ねる前に、わたしの立場を床屋談義のように、飲み屋であーだこーだ思い付きで言い合うというくらいの緩い論調でやってみたい。すいません。きちっとしたソースにあたるとかはしないのであくまでわたしの印象論で語っていると言う事をお含みおきいただければ幸いである。(長い口上というか言い訳というか)

大げさな話をすると日本と言う国がその成立ちを第一次産業から第二次産業そして第三次産業へ転換して言った時に、その人材をどのように移動させたかというと間違い無くそれは教育であったわけで、それは日本をして世界最高水準の識字率を持つに至らせた、日本の教育システムの勝利であったといってもいいと思う。読み書きソロバンのパラダイムである。技術立国たらしめたのも高度な教育システムであったと思う。そして産業政策としての通産省の施策も見事にはまっていたと評価したい。

最近では日本の学生の読解力とか数学、理科等の学力が著しく低下しているという報道もあり、日本の教育システム大丈夫かよという感じもしなくない。ゆとり教育とかいって学習時間を大幅に減少させたので、児童の学習量が減ったというのが直接的な原因かどうかはよくはしらない。

余談になるが、IPAの情報政策史は通産省の政策をしる上で非常に興味深い。 http://www.ipa.go.jp/about/e-book/itphist/index.html

IBMの互換機開発という国家戦略を取ったがゆえ日本と言う国においてOS開発が技術者のオリジナリティを試す機会を失わせたという指摘は注目に値する。(11頁)

日本のOS開発のパイオニアである高橋延匡は、IBM互換路線を当時のやむをえない選択としたうえで、「しかし、この行政指導によって、ソフト開発はおもしろいものから苦しいものに変わってしまった」と語っている。中略。黎明期にあった国産OSの開発がこれ以降は停止してしまい、ソフトウェア技術者のオリジナリティを試す機会が失われたからだという。ソフトウェア開発者の立場では、日本人に独創性がないのではなく、それを育てる政策がなかったからだということになる。

同時に日本と言う地域においてOS開発が産業としてほとんど成り立たないという土壌が出来上がった。その結果OS開発技術者というのはごく一部の互換メインフレームOSを開発維持する以外ほとんど仕事がなくなった。結局、象牙の塔でほそぼそと研究開発する以外OS開発技術者は自分のオリジナリティを発揮する機会を失った。

わたしは大学の研究と教育という二つの機能に期待する。強く期待する。しかしながら産業政策上の偶然からか、日本と言う地域にはソフトウェアの実践を指向するだけの深い技術的な蓄積は、ほとんどないと言わざるおえない。異論があろうが、ソフトウェアというのは実学である。理論と実践の両輪によって成り立っている。理論に立脚しない実践は徒労である。実践に立脚しない理論は虚しい。

我々は今チャンスを手にしている。オープンソースソフトウェアというリアルなソフトウェアを手にしている。それはまさに大規模ソフトウェアの理論と実践である。日本と言う地域で失われた技術開発を行うチャンスに恵まれている。それを利用しない手はない。そしてそれは産業界と大学との連係によってより深くそしてより高度に進化すると考える。