未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

研究と開発の谷間

Haskellとか関数型言語とか日ごろお馴染みでないことを書いたおかげでなかなか垣間見れないお隣さんを発見した。
コンピュータサイエンスの研究者と現場の人間というのはほとんど交流がない。企業は大学が有用な研究をしていないと考えているし、大学は企業があまりに短期的な収益を追い求めていると考えている。双方の立場には絶望的なほどの深い谷がある。
文句を言ってばかしではいけない。できる事を考えてみた。

企業は大学に物申そう。

どのような機能を大学に求めているか明示的に宣言しよう。人材の育成か?教育か?研究か?大学の研究が企業にとって魅力的ではないとしたらそれはなぜなのか?明示的に宣言しよう。
例えば大学卒業生は企業で即使い物になるのか?そもそも即戦力として期待していないとしたら大学は何を教育しているのだろう?単なる教養課程を修了しただけの知識でいいのか?大手コンピュータベンダーなんかは新卒採用者を何ヶ月も新人研修と称して教育をしているが、これって大学での教育がまったく無駄だっていうことにならないか。ちょっと極論だが、企業でやらねばならないこととは到底思えないようなプログラミング入門とかをなぜ大学で教えないのか?
ソフトウェアの開発実習経験もないというのはいかがなものか?全員プログラマになるわけではないから必修科目でなくてもいいがCのプログラムぐらいは普通に書けるようになってほしい。
職業訓練としてプログラミングは必要とされていないと大学は考えているのだろう。確かにプロのプログラマの需要は低い。だからと言ってそのような教育をしなくていいと言うことではない。

大学は企業とコラボレートの場を作ろう

シリコンバレーにいたときの話である。毎週金曜日の午後、スタンフォードのデータベースグループが主催するデータベースの公開ワークショップがあった。企業の現場の人がいろいろなお題をもってプレゼンをする。それを学生や企業からきた人々がわいわい突っ込む。データベースの研究と言うのは実装があって何ぼの世界だから技術に対する深い理解は大学よりも企業にあったりするので、このライブでの議論と言うのは大学にとっても非常に意義がある。データベースだけではなく、OSの研究なども実装があって何ぼの世界である。実装と理論の絶妙なバランスが必要である。そのような場を大学が提供する。

関数型言語の有効性を示そう

その言語が本当に有効だというのならその有効性を分かるように実例で示そう。Haskellの有効性はAudrey TangPugsを作ったから広く知られるようになった。その成果を利用しないとしたらHaskellの研究者は相当の馬鹿者だと言われてもやむをえないと思う。
http://d.hatena.ne.jp/sumii/20060404/1144111484

他の例として、(あくまで一例なので他意はまったくありませんが)日本の一部のコミュニティではPugsが非常に話題になっているようですが、論文はHaskellワークショップにrejectされたようです(違っていたら教えてください>知っている方)。おそらくプログラム委員も迷ったと思うのですが、あくまで学会なので、テクニカルにすごいというわけではない、と判断されたのだと思います。

http://wiki.perlchina.org/main/show/haskell%20workshop%202005 を読め。