Web記事と著作権について
id:hyoshiok:20080623:p1 わたしがWeb連載をおことわりした理由 の後日談。
その後、紆余曲折があり、出版社側が転載等については連載中のみ許諾が必要という風に期限をさだめる方向で調整がすすんでいる。まだ正式に契約にいたっていないので、最終的な文言がどうなるかはわからないけど。皆様ご心配をおかけしました。
誰がWebコンテンツを必要としているのか
出版社か、ライターか、読者か?
出版社はコンテンツによって広告収入を得たり、何がしかの売上を得ている。ライターはコンテンツを売ることによって、原稿料収入を得る。読者は優良なコンテンツを得られる。誰もがコンテンツを必要としている。
コンテンツの提供は皆にとって利益のある事であるが、一方で、それなりにコストもかかる。社会的にみて、どのようにすれば優良なコンテンツが持続可能な形で提供されていくのか。まあ、大袈裟な話をすれば、そーゆーことになる。
原稿がボツになると誰が損をするのか
たかがわたしのWeb記事でも世界で3人くらいは読みたいと思う人はいるかもしれない。Web記事をボツにすることは、出版社にとってはコンテンツによる例えばページビュー(PV)を得られなくなり、ライターであるわたしにとっては原稿料という名のおこずかいを得られなくなり、そして何より読者にとって、読みたい記事が永遠に読めなくなるという損失がある。
原稿をボツにするということはこの三者にとって何もいいことはない。誰も得をしない。
ブログや日記を書いているのは別に原稿料が欲しいから書いているわけではないので、先の原稿も出版社との契約がまとまらなかったら、日記にそのまま掲載すれば、少なくとも、わたしのエゴは満足するし、世界に3人はいるだろう、わたしの読者も損はしない。
この場合、一番の損は出版社という事になる。
出版社がなんで損をするのか
なんでこんなことになったかというと、出版社がデフォルトで持っているビジネスモデル、すなわち旧来型の著作物などを独占的に占有することによる利益をあげるというビジネスモデルがほころびているからである。
従来型のビジネスモデルであれば、わたしはコンテンツを提供する対価としていくばくかの原稿料をもらう。そして出版社はWeb掲載についての独占的権利を取得する、ということになる。
それに対し、わたしは明確にNoと言った。自分で書いた著作物について、自由に利用したいと主張した。それだけの話である。
別に金儲けのためでも、それによって世界征服をするためでもなく、単に自由に利用させて欲しいと主張しただけである。
仮にわたしの書いたWeb記事をわたしが日記で公開したところでそのPVなんてたかがしれている。商用WebポータルのPVと比較すれば一桁二桁PVが違うので経済的な観点からは全く競合なんかはしないのである。しかも、お作法として同時掲載ではなく、期間をおいて、例えば連載終了後までは掲載しないという風に言っているのだから、出版社にとって実害はないと、わたしは思う。
まあ、そんなお話をした。
つまらないビジネスモデルにこだわっていると損をするのは、あなたがた出版社ですよ。
さらに言えば、わたしは、このネタについて早速日記に書いて(もちろん日記だから原稿料なんてはじめから存在しない)、インターネットで世界に公開しちゃったわけで、その意味でおいしいところも取った。そればかりか、いろいろな人が、Web2.0時代の原稿提供のありかたについて実例をまじえて教えてくれた。
たかが原稿である。されど原稿である。
gihyo.jpはなんとCCというライセンスで掲載もするという。すごいではないか。
コンテンツも一つの商品なのだから、当然市場で取り引きをされる。その商品に魅力があれば、より良い条件で取り引きを申しでる人が出る。
わたしは今回の企画については、当初その企画を持ち込んでくれた若い編集者の心意気を買ったので、他の出版社から同じ企画で原稿を書くつもりは全くなかったしブログで書くということも多分なかったと思う。すなわち契約がまとまらなかったらボツになっていた。
コンテンツを独占するのではなく皆のものにするとみんなが得をする
出版社がつまらないビジネスモデルにこだわっていると皆が損をするのである。
ちょっと視点をかえれば皆が得をするのである。
それを今回の体験で表現したかった。
これでも、わたしはオープンソースソフトウェア(OSS)の会社にいる。OSS的な行動をすると皆が得なんだよ〜ということを知らせることは自分のビジネスと矛盾しない。むしろメリットが大きい。そーゆー事例である。
まあ昔であれば、組織と個人では圧倒的に組織の力が強かったから、原稿がボツになる経済的なデメリットというのをライターが一方的にひかぶっていたわけであるが、インターネットの時代は、その力学が変化しつつあるということである。
話を単純化したきらいはあるが、わたしがちょっとした我儘を言ったおかげで皆が得をしたわけで、八方まるくおさまったのではないか。そんな風に思う。