未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

その話長いよという話を札幌でした

セキュリティ&プログラミングキャンプキャラバン札幌*1に行ってきた。札幌というか北海道は多分高校生以来だと思う。おとなになってからの初札幌、初北海道である。21世紀の札幌だ。

今回は、セキュリティ札幌、LOCALの皆様のご協力でキャラバン初めての試みであるインターネットによる動画配信をおこなった。鎌田さん、smokeymonkeyさん、雅さん、佐々木さん、id:pacsolutionさん、皆さんありがとう。また、多数の事前参加申し込みをいただき、応募多数で締め切りになるというのも今回初めてである。

例によって、最後のフリーディスカッションは、自分なりに今迄の経験などを勝手気ままにお話するという形式で、参考になるんだかならないんだかのよた話をライブでした。質疑応答の雰囲気を記してみたい。あくまでも、自分の記憶にある脳内再生されたものなので、そこで語っていないことを補足しちゃったりしているので、ご注意いただきたい。

仕事と趣味の時間の割り振り方。

話ているうちに話がどんどんそれて、あれ、何を話しているんだっけ状態になってしまった。人生において、いろいろ自分の興味の持っているものがあって、それによって、自分の人生がづれてしまうというか変る瞬間というのがあると思う。例えば、中学の時に出会った電子計算機という得体の知れない機械によって、自分の人生は随分変ったと思う。マイクロプロセッサとかPCとかもそうだし、その時、コンピュータに興味を持ったので、大学は工学部に行ったし、米国のDECというコンピューターメーカーに就職した。インターネットも面白いと思った。その後、転職してデータベースのエンジンの開発をしていたのだけど、オープンソースが出てきて、昼はデータベースエンジンの開発、夜はモジラの解剖をして、ああ、オープンソース凄いな、これはPCとかインターネットに匹敵する、勝るとも劣らないわくわく感があるなあと感じた。当時、自宅ではLinuxは使っていなくて、Windows95だか98だかのパソコンでモジラをビルドするために、数百ドルはたいてVC++かなんかを購入した。ディスクも数十MBくらいしかないので、外付けディスクを購入した。今だったらLinuxgccで全部タダで構築できるけど、モジラという無料のソフトをビルドするために大枚数百ドルを投資するというのもおかしな話であるが、楽しかった。本屋にはRed HatのCDが20〜30ドル位で売っていて、それを買ってきてインストールとかもした。会社の人がいろいろ教えてくれたりいろいろやっていたら、ある日VPが自分のブースにやってきて、CDをくれて、それはLinuxOracleで、宣伝してねと言われたので、Software Designという雑誌に、そのインストール記事を書いた。モジラの話とかLinuxOracleの話とか雑誌に書いたので、それが縁で2000年にはMiracle Linuxという会社を立ち上げてしまった。仕事と趣味の時間の割り振り方とか、あんまりというか全然考えていないですね。(笑)。参考にならないか。

今迄の仕事のなかで達成したこと

仕事の話じゃないんだけど、カーネル読書会というのをやっていて、それは1999年ごろ日本はLinuxブームで各地にLinux Users Group (LUG) というのができて、そのうちYLUG (横浜Linux Users Group)が出来たので入って、その人達とカーネル読書会というのを99年4月に開催した。それが今も続いていて、92回開催した。今年は10周年だし、100回記念もやりたい。今年の10月に日本で初めてLinux Kernel Summitというのが開催されて、世界中からKernelハッカーが来日する。もちろんLinusとかAndrew Mortonとかバリバリのハッカーが来るので、100回記念にはLinuをぜひ呼びたい。呼びたいというのは自由なわけで、Linusが参加してくれるかどうかは、別の話なのだけど、呼びたいと思わないかぎり、それは絶対実現しない。一応Linux Foundationの偉い人とかには、BoFやりたいんですよね〜などと相談などしているが、どうなるかはわからない。だけど、10年前にカーネル読書会を初めて開催したときに、こんなに続くとも思っていなかったし、ましてや、Linusがとか100回とか考えてもいなかった。最初の一回、最初の一歩、それがあったから、今があるわけで、それを続けることが重要なのかなと思う。

id:hasegawayosuke がsambaの話をしていたので、それに触発されて、もう一度マイクを握った。最初にはいった会社は米国の会社で、その米国製のソフトウェアを延々と日本語化する仕事をしていた。一個一個の製品を日本語化するというのはきりがないので、どうしたら、それを抽象化して一般化できないかを考えていた。その当時はまだソフトウェアの国際化という概念が十分理解されていなかったので、それを考えていた。この問題はDECだけじゃなく、HPとかIBMとかSunとか、そーゆー会社も同じ問題をかかえていて、他の会社の人達と一緒にソフトウェアの国際化についていろいろ議論した。Unicodeは1988年にAppleXeroxの人達が提案して、文字コードの国際化とかのベースになった。ソフトウェアの国際化というのは例えば、日付のフォーマットなんかは、年月日(2009/1/18)という記述する国もあれば、米国みたいに月日年(1/18/2009)とか、日月年(18/1/2009)という記述をする地域もある。ソフトウェアが持つべき性質として地域に依存しないソフトウェアを作って、地域に依存するデータは外にくくり出すみたいな議論をいろいろしていた。職業として、そーゆーことを何年もやっていたので、ソフトウェアの日本語化からはじまって、ソフトウェアの国際化についてはいろいろノウハウがあった。sambaが2.xの時代は日本Sambaユーザ会の有志がパッチを作って、それを配布していたのだけどsambaが3系になったとき、本家に国際化の機能をとりこまないと日本語化を延々とやらなくてはいけないので、初めから本家にマージするつもりでsamba3国際化のプロジェクトを行なった。その時に役に立ったのは商用ソフトウェアでの国際化の経験だった、オープンソースも商用ソフトウェアもベストプラクティスはほとんど変らないと思う。取り込んでもらうために最初に秘孔をつくようなテストをいっぱい作って、リグレッションテストと呼ぶのだけど、パッチをどんどん公開していった。それからコアメンバーにも会ったり、メールしたり、電話会議したり、いろんな手を使ってともかくわれわれの仕事を理解してもらった。あれは企業が行うオープンソースのプロジェクトとしても上手くいったものだと思う。

学生時代のやっておいた方がいいこと

勉強。友達をつくること。勉強会に行こう。などなど。

モチベーションのアップ方法

モバゲーを作った川崎さんの方法は、自分のモチベーションをあげる漫画を読む。それでもあがらないときは寝る。

ベストセラーは読まない。自分が読みたい本を書くというハックもある。

そのほか

前日の飲み会では、へべれけで沈没。失礼しました。そしてセキュポロの皆さんありがとうございました。(ぺこり)

キャラバンの今後の日程は、金沢1月31日*2、京都2月7日*3、大分2月21日*4だ。楽しみである。