未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

イノベーションはどっかで起こっている(東京で)

昔DECという会社があった。米国のハードウェアベンダーだ。それでもIBMの次に大きいコンピュータベンダーだった。80年代前半飛ぶ鳥を落とす勢いでVAXというコンピュータを引っさげてIBMを追撃していた。年率二桁成長を何年も続けていた。コンピュータ産業は垂直統合の会社に支配されていた。ハードウェア(VAX)、OS(VMS)、コンパイラRDBMS、各種ミドルウェア、開発ツール(エディタ、リンカ、デバッガなどなど)、アプリケーションすべて上から下まで自社製品だった。

何か問題があれば、それがプロセッサの問題でもOSの問題でもRDBMSの問題でも、何から何まで自社で完結していたのでどーにかなった。どーにかした。それが垂直統合というわけだ。あこがれのエンジニアは社内にいた。VAXのアーキテクトもVMSのアーキテクトもVAX FORTRANのプロジェクトリーダもVAX Rdb/VMSのプロジェクトリーダーももちろん皆DECの社員だ。一つのアーキテクチャ、一つのOSそして一つのネットワークがシームレスに結合している。それは、何種類もOSが乱立しているIBMに対する強みであった。VAX/VMSそしてDECnet、VAXClusterをどんどんスケールしていけば、IBMを追い越せると経営陣も従業員も信じていた。Unixは、どう考えてもおもちゃのOSだ。UnixにはSMPもないし、ライトバックのファイルシステムだ。TCP/IPなにそれ。正直相手にしていなかった。ましてやPCなど眼中になかった。それがDEC社内の空気だった。

そしてそれが強みでもあり、経営陣も従業員も気がつかなかったがDECの最大の弱みでもあった。

80年代に水平統合へ時代は大きく舵を切っていた。ターゲットはいつのまにかにIBMじゃない何かに変わっていた。プロセッサはRISCへ、OSはUnixへ、RDBMSOracle/Informix/Sybaseへ。それぞれのレイヤーの主要ベンダーへ重心は少しずつ移動していった。Oracleはどう考えてもスケーラビリティはないし、絶対的な性能も低い。にもかかわらず売れていた。DECのエンジニアにはそれが理解できなかった。Sun Workstationが飛ぶように売れているのは、安いからだけだと思っていた。それ以外の説明はつかないと考えていた。*1

ビジネススクールの教科書に出てくるようなケースである。イノベーションのジレンマで消えていく会社の典型である。

経営陣は賢くて優秀だ。エンジニアも世界の超一流である。VAXは世界最高峰のアーキテクチャだったが、RISCという大学で開発された互換性もないおもちゃのプロセッサにいつのまにかにやられてしまった。VMSはUnixに破れてしまった。DECnetはTCP/IPに。VAX RdbOracleに。

それが水平統合パラダイムである。オープンシステムという流れにDECは適合できなかった。

大学でコンピュータサイエンスを学んでソフトウェアを作りたかったら、かつてはハードウェアベンダーに就職するのが王道であった。それが水平統合の時代になって、ソフトウェアを作りたかったらソフトウェアベンダーに就職するのが王道になった。

RDBMSを開発したいと思ったら、OracleやInformixなどのソフトウェアベンダーに就職するのが道筋である。そして90年代、RDBMSのベンダーはほぼ米国系企業になってしまったから、日本という地域でRDBMSのような基盤系ソフトウェアを作る職場はほとんどなくなってしまった。もちろん富士通NEC、日立などにもメインフレーム系の開発の仕事はあることにはあったが中途採用はほとんどとっていないし、新卒で入ったとしても開発の部署に配属される保証もなかった。

わたしが日本オラクルに転職した1994年というのは、そのような時代だった。日本オラクルに就職したところで米国本社へ転籍になれると決まったわけでもないし、入社時にそのような可能性を打診されたわけではない。だけど、結果として、わたしは米国本社へ出向しOracle8のエンジンを開発する機会には恵まれた。日本という地域で基盤系ソフトウェアを開発する機会がほとんど失われていたおかげでシリコンバレーに出稼ぎにいったというわけだ。

そして1998年Netscapeは自社のブラウザーソースコードを公開し、オープンソースというまるっきり新しいパラダイムを切り開いた。

イノベーションは自社内で起こっているのではなく、どっかよそで起こっているというパラダイムが始まったのである。かつてはすべて自社内だった。それが選択と集中により、各レイヤーのゴリラプレイヤーになり、最後にオープンソースにより、イノベーションが外側の世界で起こっているというパラダイムになった。

OSもWebサーバーもコンパイラRDBMSスクリプト言語もすべてオープンソースである。LinuxApacheGCCMySQLPerlすべてOSSである。自社で作ったものは一つもない。

Innovation Happens Elsewhere (IHE) -- イノベーションはどっかで起こっている*2

オープンイノベーションの究極の姿はOSSオープンソースソフトウェア)である。LinuxハッカーPerlハッカーRubyハッカーも全部社外にいる。社外のイノベーションを取り込んで自社のサービスの根幹に据える。そして、すべてのイノベーションが外部にあるときに、どうやって自社のサービスの付加価値を高めるのか。

イノベーションの外部化だ。その時のビジネス戦略はどのような形になるのだろう。

例えば、日本で一番クラウドの経験値が高いのはmixiなどのWeb2.0系のベンダーだろう。(わたしの仮説である)。先日書いた、ACIDではなくBASEやCAP定理を、そんな言葉の定義があろうがなかろうが日々実装していたのが彼らである*3

昔、カーネル読書会mixiの当時のCTOだったバタラさんに話をしてもらったことがあった。RDBMS学校の卒業生としてはmemcachedやらなにやらのBASE戦略は、はっきり言ってありえないだろう、たまげた*4。走りながらシステムを拡張していくというソフトウェア開発方法論も信じられなかった*5。2年ちょっとで一人しかいなかったユーザを500万ユーザのサービスに仕上げ上げた。500万倍というありえないスケーラビリティをOSSだけで実装した。そのソフトウェア開発方法論も信じられなかったし、その基盤にあるACIDではなくBASEの考え方もにわかには納得いかなかった。

当時BASEもCAP定理もわたしは知らなかったが(memcachedですら知らなかった)、その考え方に衝撃を受けたことは鮮明に記憶している。

実際MySQLmemcachedをハックするエンジニアがmixiにいて、彼らの仕事がmixiのサービスのスケーラビリティや安定性向上に繋がっている。外部にあるイノベーションをたくみに取り組んで自社のサービスの強みにビルトインしている。

プロプライエタリではなくオープンでそれを自社の強みにしているというビジネスモデルである。

さらに言えば、それらの現場のエンジニアはユルイかたちで勉強会などのコミュニティ活動で繋がっている。会社的には競合であったとしても技術に対するロイヤリティでは利害が一致する。そのような理想的な開発コミュニティが日本という地域で発生しつつある。

ACID学校卒業生のオラクル出身の友人たちと先日焼肉をつつきながらヨタ話をしたが、BASEパラダイムについて無邪気なほど無頓着であった。ソフトウェア開発方法論としてのWeb2.0的な会社のアジャイルな開発方法論などについてもほとんど理解していなかった。もちろん勉強会というインフォーマルなコミュニティで現場が繋がっていることなどは知るよしもなかった。

イノベーションの外部化、BASEパラダイムクラウド、様々なキーワードがわたしの頭のなかをぐるぐると駆けめぐるのであるが、絶対何かが始まっている。わたしの直感は間違いなくそう言っている。東京は熱い。

*1:ネットブックが売れているのは安いからだと思っているあなたはイノベーションのジレンマに飲み込まれるベンダーにいる。これは歴史が証明している。職をかえた方がいい。おせっかいだけど

*2:http://www.dreamsongs.com/IHE/

*3:クラウドにはぐっとこないけど、BASEやCAP定理は面白い/hyoshiokの日記 http://d.hatena.ne.jp/hyoshiok/20090520#p1

*4:LiveJournalアーキテクチャ/ユメのチカラ http://blog.miraclelinux.com/yume/2006/07/livejournal_a718.html

*5:500万倍のスケーラビリティ/ユメのチカラ http://blog.miraclelinux.com/yume/2006/07/post_7ad0.html