未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

マイコン少年からオープンソースまで

自分が受けたインタビューを自分が解説するという変な企画の第5弾(笑)。スーパーハッカー列伝。吉岡弘隆氏

その1 ソフトウェアの国際化をやっていたころの話をしよう http://d.hatena.ne.jp/hyoshiok/20100113#p1

その2 そろそろUnicodeについて一言いっておくか http://d.hatena.ne.jp/hyoshiok/20090419#p2

その3 そろそろオラクルについて一言いっておくか http://d.hatena.ne.jp/hyoshiok/20100116#p1

その4 シリコンバレーで見た自由闊達な議論の場所 http://d.hatena.ne.jp/hyoshiok/20100117#p1

マイコン少年のころ

川井 でも「ミラクル・リナックス」さんの立ち上げに参加するなんて言うのは、世間から見ても結構ドラマチックな選択じゃないですか。それって半径5m以内に思えない所があるんですけど、それはどういう解釈をすればいいですか?

吉岡 実はそれは私としては全然違和感なくて、中学高校大学生ぐらいの時にコンピューターに出会って、マイクロプロセッサに出会ったわけじゃないですか。
1975年に「SCIENTIFIC AMERICAN」の日本版の「日経サイエンス」っていうのを親に買ってもらって毎月読んでたんですよ。そうすると色んな科学技術の最先端の記事があって、マイクロプロセッサのICの写真がカラーで出てるわけですよ。これは「インテル」が作った4004っていうマイクロプロセッサで、ここにメモリをつけるとコンピュータになって、電卓用に最初使われたみたいに書いてあって、$100ぐらいとか値段も書いてあって、大きくなったらこれ買いたいなとか思ってましたね。

川井 なるほど。

吉岡 将来の夢はコンピューターを買うことだなんて高校生は思うわけですよ。
それで、その時に「これは世の中を間違えなく変えるな」というのを直感したわけですよ。
それから、1975年にビル・ゲイツは「マイクロソフト」っていう会社を立ち上げるんだけど、そういう意味で言うとビル・ゲイツも私も梅田望夫も高校時代に数学研究会で一緒だった連中も、職業にするかしないかは別としてマイクロプロセッサで世の中が変わるっていうことを間違いなく確信していたわけですよ。

川井 なるほどなるほど。

1975年は高校2年生である。「マイコン」は世の中を変えるなと直感した。

ネットワークは世の中を変える

吉岡 それはまぁおいといて。就職するにあってマイクロプロセッサとかマイクロコンピューターの会社が延びてるわけですよね。
それで「DEC」ってう相当大きな会社に入ったんですけど、「DEC」に入ってびっくりしたのは社内のコンピューターっていうのが全部ネットワークでつながってるんですね。今でこそ当たり前の話で、パソコンには全部IPアドレスがついてるじゃないですか。でもその当時コンピューターっていうのは単体で使うものであって、ネットワークなんて言うのは非常に特殊なものだったんですね。だけど「DEC」の社内はピアツーピアで、全部のコンピューターがDECnetでつながってました。しかも海外の拠点とも国際回線をつないで、米国本社にくっついてるわけですよ。そうすると「DEC」のエンジニアリングネットワークはバーチャルで1つなんですね。だから彼らが作ってるソースコードをネットワーク経由でコピーする、今でいうとFTPみたいなものも簡単にできるし、それが当たり前でした。

川井 なるほど。

吉岡 そうすると「ネットワークは世の中を変えるな」と確信するわけですよ。
米国のネットワークに当時アーパネットとユースネットっていうのがあって、「DEC」社じゃゲートウェイは持ってるわけですよ。実はそこから電子メールもアーパネットに出せるたんです。日本から社内ネットワークを通じてインターネットに出られるわけですね。
当時1984年ぐらいの時点の日本ではまだ電子メールのネットワークがなくて、東工大と慶応と東大が村井純さんを筆頭にして石田先生とか集めてですね草の根のネットワークどうやるかなみたいなことをやってて、米国にはコンピューターのネットワークがあるらしくて電子メールっていうのを使ってるらしいとか言ってるような感じでしたね。

川井 なるほど。

吉岡 村井さんたちが日本国内のネットワーキングを始めてKDD経由でUSにやってた時代に、私はもうとっくに社内ネットワークでインターネットとかしてたんですね。その時にも「ネットワークは世の中変えるな」と確信したんですよ。

川井 なるほど。

わたしがDECに入社したのが、1984年。村井純らがJUNETを作ったのが1984年の秋頃である。http://ja.wikipedia.org/wiki/JUNET

「ネットワークは世の中を変えるな」と確信した。

オープンソースに出会う

吉岡 それから、オープンソースに出会うわけですよ。
例えばマイクロプロセッサに出会った時にマイクロソフトに就職するっていう選択肢もあったんだけど、私は選ばなかったんですね。インターネットが出てきた時には、
例えばIIJとか国内でもいくつかプロバイダ的なところはあったしベンチャーもあったけど選ばなかったんですね。
それで、3つ目のオープンソースっていうものに出会った時に、これはインターネットに匹敵する以上のインパクトのある方法論だし世の中を変えるなと確信してですね、ソフトウェアの作り方に関してはプロプライエタリなソフトウェアっていうのが結構やばくなるだろうなと思いましたね。

川井 そうなんですね。

吉岡 「オラクル」っていうプロプライエタリの「マイクロソフト」に次ぐ所にいたがゆえに「ここはのほほんとしてたらやばいんじゃないの?」と「どうするかな・・・」と、インターネットに軸足を移せなかった自分に対して最後のチャンスだろうなっていうように思ってましたね。そこでオープンソースという所に何か希望を見出して、これからはやっぱりオープンソースだろうなっていうことでちょっと飛び込んじゃいましたね。

川井 なるほど。

吉岡 そのくらい衝撃はありましたね。

川井 なるほどなるほど。

吉岡 10年たってみるとやっぱりオープンソースっていうのはある種、世の中を凄い変えていましたね。

川井 そうですね。

PCが世の中を変える、インターネットが世の中を変える、オープンソースが世の中を変える。自分の直感を信じて飛び込んだ。

オープンソースが注目されたのは1998年春ころ。Netscapeソースコード公開がきっかけである。そしてミラクル・リナックスの創業が2000年6月。

吉岡 企業が知的財産権を含めてロックインするモデルから、どうやってシェアして皆が儲けるかっていうようにビジネスモデルすらもかなり変わってきてて、コミュニティ主導の開発っていうことに関してはほぼ理解されていてパラダイムが変わっちゃいましたよね。

川井 大手SIerオープンソースって言い始めてますからね。

吉岡 言ってますね。だからそこは10年たってみてやっぱり自分の直感は結構正しいものであったかなと思いますね。とはいうものの、それで十分食えてるかっていうのはまた別の話で、もちろんぼろ儲けはできないと思うんですけど、もう少し儲けててもいいかなみたいな部分はありますね(笑)。

川井 なるほど。そこもやっぱり経営者なんですかね。オープンソースとか技術をお金に変えていくっていうところですよね。確かにJavaに「サン・マイクロ」が投下したようにするとああいう会社ができるのかもしれないですね。

吉岡 とはいうものの「レッドハット」さんとかもいい感じで成長されてるしね。オープンソースに特化した会社っていうのも普通にあるし、オープンソースそのものはコモディティ化してて珍しくもなんともないっていう意味ではやっぱり10年間で世の中変わったと思うんですよね。

結局のところ、この業界は10年に一回くらい大きな地殻変動があって、その瞬間その瞬間、自分は現場にいて地殻変動を体感しているのだけど、前の2回(PCの登場と、インターネットの登場)の時は動けなくて、オープンソース地殻変動で動かなくて後悔するくらいなら動いて後悔してみようという感じでオープンソースの世界に飛び込んだ。

プロプライエタリな世界から180度逆の動作原理で動くコミュニティというものを理解する10年だったと思う。

この10年、オープンソースという得体の知れないものに当事者としてコミットして活動してきた。ビジネスとしてミラクル・リナックスで華々しい成果をあげるということは残念ながら自分の力不足で出来なかったが、オープンソースについて、自分なりな理解は深まった。そして微力ながらコミュニティへの貢献も出来たかと思う。