未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

ガラパゴス化する就活

わたしが学生だったころ(1980年代前半)の就職活動というのを思い返して見ると、高校生のときに漠然と大学の学部を決めて、大学生活を送るうちに希望の業界をイメージしていくという感じだった。

例えば、工学部であれば車が好きな奴は自動車メーカーに、経済学部であれば、商社とか銀行とか。工学部でも電気メーカーを希望するのは電気科とかであり、自動車メーカーを希望するのは機械科を専攻しているやつで、その逆はあまり考えられなかった。電気回路全然だめだよという奴は電気科にはいかないし、熱力学とか製図をとらない奴は機械科にはいかない。(必修がどうだこうだというより、自分の好きな科目とか得意な科目、あるいは苦手な科目を勘案の上、学部や学科を選択していくイメージだ)

高校生ころにざっくりとした学部の選択をし、大学生活を送りつつ、徐々に職業というのをイメージしていく。わたしの場合、2年生を二度やっているので(とほほ)、二度目の2年生の時じっくり考える機会があったので、プログラミングのバイトなどをしながら、職業としてのソフトウェアエンジニアというものに漠然としながらも憧れを持ち始めていた。

当時はインターネットも何もない牧歌的な時代だった。パソコンが1977年に登場し、1981年にIBMーPC、そして1984年にMacが登場する。そんな時代である。そして、二度目の2年生のときに、自分はコンピュータというのが好きだし、プログラミングというのが好きかあるいは得意かどうかは判然としないが、それでも、このコンピュータ業界というのはとても魅力的に思え、なんとなく、この業界に就職してみたいと思い始めた。

当時、慶應には計算機科学科というのがなく、湘南藤沢(SFC)もなかった、コンピュータを専門に学べるのは、電気工学科、計測工学科、管理工学科、数理工学科というような学科だった。電気、計測がハードウェアより、管理、数理がソフトウェアよりという感じだった。電気は不得意だったので、電気、計測は希望対象から外れ、数理は数学が超不得意なので、結局管理工学科に進学する事にした。今から思うと、消去法的な学科選択だ。もっとドラマチックな何かがあったはずであるが、当時の自分はそれなりに必死にあれやこれやを考えていたかと思うのであるが30年経ってみると、まあ、その程度の感じである。

学部の研究室は、竹内研究室という統計の研究室で、竹内先生というのが日本でAPLを広めるコミュニティ活動などをしている、不思議な先生であった。統計の研究室にいたので、多変量解析だとか主成分分析とか因子分析、あるいはクラスター分析などを当時の統計パッケージでぱらぱらやるというのは、ふつーにやっていた。すっかり詳細は忘れたが、その手の言葉、統計のほげほげ分析という言葉には、まったく苦手意識がない。データーマイニングつーのは、結局多変量解析ということでいいのか、とか適当なことを言って煙に巻くことぐらいは多分できる。定義の小難しい数式はパターン認識して覚えるしかないけど、その程度ではビビらない。

7イレブンでバイトをしたことがあったのだが、天気のいい時には弁当が売れるので、多めに仕入れるというのを小難しく分析して、その法則を見つける手法として多変量解析とかクラスター分析などが使えるとか言うことを、後に知った。

修士課程では、浦研究室にお世話になった。浦先生のアセンブリ言語入門で中学生の時アセンブリ言語を学んだものとしては何かの縁を感じた。浦先生のFORTRAN入門ももちろん読んだ。隣の研究室は大駒先生なのだが、大駒先生のCOBOL入門ももちろん読んだ。プログラミング言語の入門書を書くのが大学の先生のお仕事みたいな時代だったのだろうか。

そこで、データベースの勉強をして、RDBMSの理論的な論文とかSystem-Rの論文とか、図書館に行っては大量にコピーをとって、読みまくった。当時Prologという言語が流行っていたので、それでプロトタイプを実装して修論にした。バージョン管理システムの存在を知らないのでとんでもないプログラミングだった、もちろんテストなど十分やっていない。

研究者になるというつもりもなかったので、修士課程でおなかいっぱい勉強したことだし、とっとと就職しようと思った。で、会社訪問とかあれやこれやを始めるわけであるが、コンピュータ業界といえば、日本のメーカー(富士通、日立、NEC東芝、三菱、沖など)、外資系(IBM、Univac、バロース、NCR、DECなど)などがあった。情報系でいうと富士ゼロックスなど。外資系はIBM以外消えたか、買収されたか、合併したか、名前が残っているところはほとんどない。日本のメーカーも、東芝、三菱、沖などはコンピュータ事業から撤退している。

自分はソフトウェアを作りたかったので、上記のような中から希望の会社を絞って行き、結局DECに就職した。

当時、マイクロソフト株式会社もアップルもサンマイクロの日本法人もなかったので、あったとしても多分就職候補になったかどうかは怪しい。外資系に就職することですら結構チャレンジだった気がする。

しかし、ソフトウェアの勉強をし、コンピュータの会社に就職するというのは、わかりやすい職業選択方法だと思う。

昨今、就職氷河期で、何十もエントリーシートを書いて、御社が第一志望ですといいながら必死に就職活動をしている真っ只中の人たちに時々聞かれることがある。どうすれば採用されるんでしょうか。

例えば、プログラミングをまったくやったことがなくて、プログラマー志望です、と言われるとちょっと困る。学部は理工系でなくても、独学でプログラミングを経験し、オープンソースのプロジェクトでばりばりやっているというような人ならまだしも、それも経験がない。だけど、テンションはとっても高くて、人当たりも良く、営業とかやらせれば結構いいところまで行くのでは思ったりするような人が、プログラマ志望ですと言われても…。

わたしにとって、ぐぐっと来るのは、プログラマーになりたいのであれば、やはり学生時代なにかしらのことをやっていて、それがインターンでもバイトでも、あるいはオープンソースのプロジェクトでもなんでもいいのだけど、それなりにプログラミング経験があって、その実績を持っている人だ。勉強会に参加しているとさらに好感度は増す。積極的にLTとかいろいろ発表しているとさらに増す。githubでコードを公開しているなんていうことになると、もっといい。

プログラミングの基礎は大学時代に身につけていて欲しい。インドや中国の学生は大学時代にその程度の知識は身につけている。彼らは英語も日本語も中国語もできる。

コンピュータを学んだことがなくてソフトウェアの職業につこうという発想はガラパゴス化した日本の就職事情の反映かと思うが、それでは困る。会社も困るし、社会も困るし、何よりも自分自身が困ると思う。

よく、コミュニケーション能力が必要だなんてことを言うが、それ以前に基礎的な知識はちゃんと獲得しておいて欲しい。


プログラマー志願の皆さんは、とりあえず、達人プログラマーなんかを読みつつ人生を考えてほしい。