未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

大学の社会的役割など

最近、産業技術大学院大学の授業にかかわったこともあり、大学の社会的な役割などをがらにもなく考える機会がある。素人があれやこれや考えたことなので、専門家の皆様の生暖かいコメントご意見などをいただきたく。

大学の主な機能はいうまでもなく、教育と研究だ。研究者を育成するというのは、まあ、研究と言う名の教育みたいなものかと思う。企業のOJTと似ている。教授が弟子の学生に課題を与えて研究手法を学ばせるという意味で教育であり、研究でもある。

それはともかく、多くの学生に取っての大学の価値は、1)教育を受けることと、2)大学卒の資格を得ることである。

教育の機能とは何か。

今まで知らなかったことを知る。すなわち知識の獲得なのか。出来なかったことが出来るようになる。すなわちスキルの獲得なのか。

学生が教育機関に時間的なコスト(数年間)と金銭的なコスト(授業料その他)を払うのはなぜなのか?

文部科学省が認定する大学資格を獲得するために4年間という時間と数百万円のコストを払う価値があるのかないのか。

ある職業に就くために大学卒の資格がいるとして、その職業に就くことによるリターンと、その職業に就くのに必要な資格を取得するための投資との比率(ROI)が1以上であれば、投資をする価値がある、という風に単純に考えていいのだろうか。

野球の選手になるのに大学卒の資格は必要ない。大卒でなければ野球の選手になれないというわけでもない。

医者になるには医師免許を持っていなければならない。医師免許を取得するためには大学の医学部を卒業しないといけない。よって、医者になるには、医学部を卒業しないといけない。

会社員になるために、会社の応募資格を満たさないといけない。会社によっては、応募資格は大学卒業以上としているものもあるので、その会社に入社するには大学を卒業しないといけない。そーゆーことなんだと思う。

それ以上でもそれ以下でもないのだろうか。

まあ、大卒資格に関しては、その程度のこととして、教育を受けること、そのものの価値について考えるとどうなるか。

知識を得るという意味では、インターネットで無料でいくらでも知識は得られるように見える。

大学ではその知識を体系化し、権威ある人々によってそれが再構成され編集され教えられる。その編集価値が大学という場にある。

ということなのだろうか。

MOOC - Massive Open Online Courses というオンラインの無料の高等教育がインターネット上で公開されている。MITやハーバードのような米国の一流大学の授業が無料で受講でき、ある一定の条件を満たすと単位も取得できるという。

そのような時代の大学卒の資格の価値はどこにあるのか。知識獲得の場としての大学の価値はどこにあるのか。まさにそれが問われている。

大学の価値は研究と教育だけなのだろうか。教育についても、資格と知識獲得という価値だけなのだろうか。

もちろん正解はない。職業人を育成することだけが大学の機能というわけでもない。職業訓練校ではないという人もいることは承知している。

一方で、18歳ー22歳までの高校を卒業してすぐ入学する学生以外にも、いわゆる社会人学生という人たちがいる。いろいろな事情で社会に出た後、学びたいから学ぶという人たちである。産業技術大学院大学の学生の多くはそのような社会人学生である。

その人たちに取っての教育というのは同じ教育という枠組みではあるけど随分違うような気がする。上手に言葉にすることは難しいけど、知識を得たい、学びたいという強い心の叫びによる何かのような気がする。

大学がそのような人たちの要求に十分応えられているか、そのニーズを汲み取っているのかというのがわたしの素朴な疑問なのである。

大学教育にも時代の変化にそったイノベーションが必要でそれには社会人学生への対応というのが強く求められている。それがどのようなものかというのは、厳密に言葉にすることが難しい。

というわけでオチも結論もなく、もやもやしたまま本日のエントリーは終わる。ご意見、コメント大歓迎なり。