未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

新入社員のみなさん、入社おめでとう

日本の風物詩、新卒入社。4月1日の入社式。

思い起こせば30年前の自分だ。希望と不安で臨んだ入社式。合宿の集合研修。

当時はIT産業という言葉は一般的ではなかった。コンピュータ産業だった。そしてコンピュータ産業はハードウェアベンダーが支配していた。ソフトウェア産業が生まれるかうまれないかの時代だ。

自分は大学でソフトウェアを学んだので、ソフトウェアを作ることを仕事にしたいと考えていた。そして、そのころはソフトウェア専業ベンダーというのがまた生まれて間もない頃なので、就職先としては自分の中には候補になっていなかった。ソフトウェアを作りたいのならハードウェアベンダーに行く。そのような時代だった。

IBMがコンピュータ産業を支配していた。メインフレームと呼ばれる、汎用大型コンピュータを作るのがハードウェアベンダのビジネスモデルだった。そして、そのようなベンダーはIBM以外残っていない。すべて時代によって淘汰された。*1

わたしはDECという米国のコンピュータベンダーの日本法人に就職した。当時、マイクロソフトもオラクルも日本法人はなかったので、ソフトウェア開発をやりたければ、国産ベンダーか外資のコンピュータベンダーに就職するほかなかった。

ハードウェアの新機種の発売にあわせて、オペレーティングシステムミドルウェアのバージョンがアップして行くことが多く、それが製品ロードマップとしてマーケティングされて行く。

ハードウェアの製品開発サイクルは数年単位なので、ビジネスのサイクルも長い。

80年代はPCの登場、Unixワークステーションの登場などがあり、従来のメインフレーム中心のコンピューティングスタイルが全く変わろうとしていた。そしてDECはその波に飲まれあっというまにビジネスのメインストリームから脱落し、1998年コンパックに買収され市場から撤退をした。

80年後半から90年代、マイクロソフトインテルの時代であった。インテルがマイクロプロセッサのロードマップをNDA(秘密保持契約)ベースでハードウェアベンダーに公開し、それをもとにハードウェアベンダーはPCを製造する。インテルのロードマップにそうような形でマイクロソフトWindowsのロードマップを作って、各種ベンダーにNDAで公開していた。

DECは奇妙なことにハードウェアベンダでもあり、PCベンダーでもあるような立ち位置にいた。
Windows NTの話は社内でも情報は共有されていたし、DEC Alphaというマイクロプロセッサへの移植作業も行われていた。

ベンダーは、誰かが作ったロードマップをベースに製品開発のスケジュールを引いていた。このロードマップを作る人のことをDECではアーキテクトと呼んでいた。

製品ベンダーは自社製品の戦略をロードマップというポンチ絵で表現し、まだ影も形もないものを顧客に売りつけるというビジネスモデルを取っていた。

インテルは創業者のムーアが60年代に提唱した、ムーアの法則によって、マイクロプロセッサの集積度についてきわめてシンプルだが強力なロードマップを手にしていた。二年後の新世代のCPUではクロックが倍になりますとか、集積度が倍になりますとかいうことを前提にビジネスをしていた。

インテルマイクロソフトは自社のビジネスがプラットフォームビジネスだということを理解していたので、自社のプラットフォーム上で動くアプリケーションなどを作る企業を上手に囲い込もうとしていた。

NDAをベースに詳細な情報を事前に提供し、様々なアプリケーションを構築することを支援していた。

ロードマップはごく一部のプラットフォームベンダーが作って業界全体がその流れに乗るというのが典型的なビジネスモデルであった。

かつては、それがIBMであり、90年代は、マイクロソフトインテルだった。

そしてインターネットの時代である。

だれかが圧倒的な支配力を持って業界を引っ張るという構図がなくなった。

AmazonAppleGoogleFacebookも大きな影響力を持つことは持つが、ロードマップを示して業界の行く末を定義するという力はない。

インターネットの時代のテクノロジーは製品ベンダーが提供するのではなく、オープンソースになってしまった。

WindowsではなくLinuxである。

そしてLinuxにはロードマップはない。

オープンソースにはコミュニティーはあるが製品ロードマップを作る人はいない。そのようなものはない。

Linuxの作者のLinusはスピーチをするのが嫌いだと公言してはばからないが、かれが辟易としているのは、Linuxの将来像はとかLinuxのロードマップはどうなっているんですか、という類いの質問をされまくって、ほとほと疲れたというようなことを言っている。ロードマップはない。

よく、これからの技術トレンドはどうなるか、みたいなありがちな未来予測があるが、そのような陳腐な問いかけに納得してはいけない。そんなものはない。そんなものを求めてはいけない。

30年前、コンピュータ業界に身を投じた若き日の自分に言うことがあるとすれば、この業界は仕事にするに足る素晴らしい業界で、君の選択に間違いなかった。めちゃくちゃエキサイティングな30年間だった。そしてこれからの30年間(?)も同じようなエキサイティングな未来がまっていると思う。

ただし、誰かが書いたようなロードマップというのはない。それを作って行くのは自分たちだ。

未来はすでにここにある。ただ、みんなに等しく見えていないだけだ。Willam Gibsonの言葉を30年前の自分と今年入社した新人のみなさんに贈りたい。おめでとう。

*1:厳密に言えば、富士通や日立は未だにメインフレームを作っていることはいるが、大きな基幹ビジネスとして存在しているとは言いがたい