未来のいつか/hyoshiokの日記

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英語を社内公用語にしてはいけない3つの理由。読了

英語を社内公用語にしてはいけない3つの理由を読んだ。

英語社内公用語化は、1)日本語・日本文化の軽視、2)社会的格差・不平等の助長と固定化、3)言語権の侵害、なので、著者は反対という立場をとっている。

あらかじめお断りしておくが、わたしは、この著者の立場を取らない。また、ここでのわたしの意見は所属会社のそれを表すものではなく、あくまで個人としてのものである。

まず、簡単に本書を紹介し、その後、自分の意見を述べたいと思う。

「英語を社内公用語にしてはいけない3つの理由」

本書の構成は、序文「楽天ユニクロへの手紙」、第1章英語社内公用語化の実態、第2章英語公用語論の歴史、第3章英語を社内公用語にしてはいけない理由1、日本語の衰退を招く、第4章英語を社内公用語にしてはいけない理由2、格差を生み、拡大する、第5章英語を社内公用語にしてはいけない理由3、言語権を侵害する、第6章もしあなたの会社が英語を社内公用語したらどうするべきか?、第7章日本語優先主義のすすめ、終章経済至上主義から文化至上主義へ、となっている。

2011年7月に出版されたものなので、楽天ユニクロの英語社内公用語化が2010年ころ話題になったので、それをきっかけに出版されたため、若干記述が古い部分がある。

第1章で、英語社内公用語化の実態を取材している。当該企業へ電話取材を試みたりしているが、多くはウェブ情報などをソースに論じている。

『「英語にこだわること」が本当に会社をよくすることなのか、社員のためになるのか、ひいては日本のためになるのか。経営者は真剣に考えなければなりません』39ページ。

第2章で、英語公用語論の歴史を森有礼の「英語採用論」から紹介している。志賀直哉の「フランス語採用論」、2000年の「英語第二公用語論」などを紹介している。

公用語というのは政府が使用を約束する言語であり、国民が使用を強制される言語ではないという主張をしている。

第3章で、英語を社内公用語にしてはいけない理由として「日本語の衰退を招く」と主張する。

日本は英語偏重社会で、1)大学教育が実用英語に傾斜、2)英語教育の早期化、3)「英語力」が人生を左右する、4)文科省「英語が使える日本人」育成政策、となっている。

英語偏重は日本語の衰退をまねく理由として、1)深まる「英語信仰」、広がる「日本語軽視」、2)英語が「上位言語」、日本語が「下位言語」、3)英語への「乗り換え」が起きるをあげている。

100年後、日本人は日本語を話しているだろうか?(88ページ)

第4章で英語を社内公用語にしてはいけない理由2、格差を生み、拡大する、と主張する。

英語が格差を生み出す理由として、1)英語力が高収入、高地位につながる、2)「英語を使う人」と「英語を使わない人」の収入格差、3)「英語が出来る階層」と「英語が出来ない階層」への分離、4)「日本語の出来ない外国人」の増加、4)日本企業に就職できない日本人の増加、をあげている。

格差を拡大している現実として、1)「英語偏重社会」から「英語格差社会」へ、2)「二重言語社会」が日本を分断する、3)日本が「ガイジン天国」になる。

第5章で英語を社内公用語にしてはいけない理由3、言語権を侵害する、と主張する。

英語の強制は、「基本的人権」、「人格権」、「精神の自由権」、「自己決定権」の侵害である。

第6章、もしあなたの会社が英語を社内公用語したらどうするべきか?ということで、積極的順応、消極的順応、闘争的抵抗、平和的抵抗、分離の方法を紹介している。「英語公用語化」が日本のためになるか考えよと言う。

第7章、日本語優先主義のすすめで、1)日本人の英語信仰が日本語を亡ぼす、2)日本人は日本語人である、3)日本語は日本の基盤であり共有財産である、4)国際主義ではなく日本回帰を、5)世界の平和のために、と記す。最後に「英語優先」から「日本語優先」に軌道修正せよと主張する。

終章で、経済至上主義から文化至上主義へ、『今まで西洋文化を真似して日本人はここまでやってきましたが、もうそれは通用しません。今こそ日本人は日本の「伝統文化」に回帰し、そのすばらしさに気づき、そしてそれを世界に発信していかなければなりません。日本人が自分たちの「伝統文化」に誇りを持つこと。これが最も必要なことなのです』(200ページ)

感想

英語が経済圏での普遍語になっている以上、企業はそれを好むと好まざるをに関わらず利用せざるを得ない。もし、その前提を否定するとすると、日本は鎖国をしなくてはならず、それは現実ではないし、あり得ない。

問題は、その利用によって、どのような問題が発生し、その問題の影響をどのように最小化すべきかということだと思う。

しかしながら、本書は、英語化を否定することを前提に議論しているので、参考になる主張はほとんどない。

また、本書の構成は、要約するのが困難だった。それは、各章毎の構成が、本来ならば、その章の主張を補強する小見出しからなっていて、それを組み合わせれば、その章の主張が正確に再現されるべきなのであるが、小見出しを引用しても、その主張を補強する材料にならない、あるいは理解するのが困難な構成になっていた。

例えば、英語化が格差を拡大するという主張をしている。その主張の根拠は、英語が出来る人、出来ない人という層別に年収を比較している研究を引用している。(96ページ)
ある現象1と2に因果関係があると主張する場合、最低でもそれ以外の条件を同一にしないと、比較できない。英語が出来る人は高学歴の人が多くて、結果として年収に差があったのかというようなことはないのかなどなど。

英語化に反対するのも結構であるが、説得力のある主張を展開するためには、最低限、理科系の作文技術 (中公新書 (624))あたりを読んで出直してほしい。


面白い主張を学べるかと思って、英語を社内公用語にしてはいけない3つの理由を読んだのであるが、結果残念な感じである。

ひとつひとつ主張に自分の意見を記そうと思ったのだけど、要約を作っているうちにそのエネルギーもつきた感じである。かえすがえす残念だ。

おまけで、下記、ハーバード大教授も認める「楽天の英語公用化は大成功だ!」【特別対談】ツェーダル・ニーリー米ハーバード大学経営大学院教授に聞く、というリンクを貼っておく。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20140328/261944/?rt=nocnt