未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

東京読書サミットに参加した

池袋ジュンク堂で開催された第2回東京読書サミットに参加した。白石さんが主宰する「読書するエンジニアの会」が主催者となって、「森の読書会」、「ええやん!朝活」と言う読書会が協賛という立て付けになっている。

読書会は色々な形式がありうるので、それぞれの人がイメージするそれはかなり異なっている気がする。ざっと思いつくものでも、大きく分けて1)課題となる本を参加者で読むもの、2)特にテーマを決めないで参加者が本を紹介するものがある。前者の形式のものは、大学のゼミのように課題図書を精読し、議論するものから、カジュアルにある作家の作品の感想を述べ合うものまで幅広い。*1 後者の例としては最近では、ビブリオバトルのような本の紹介を競技形式にして、参加者からの人気投票で優勝者を決めるというものまである。

紹介系の読書会だと、自分が普段手に取らない書籍を知る機会になって、自分の読書の幅を広げてくれる可能性がある。

本を皆で読む形式の読書会だと、同じ本を読んで、こうまで解釈が違うのかということを発見したり、共感するポイントを共有して、ああ、自分は孤独ではなかったと思ったり、あるいは自分の読み方の弱点(?)を知ったりできる。ゼミの輪読だと、そもそも内容がよくわからなくて途方にくれるのをみんなで読み解くというような読み方もある。

知っていることを読むのと知らないことを読むのでは後者の方が知的な労力を使うので脳に対する負荷が高いような気がする(脳の負荷ってなんだかよくわからないけど)。読み方の訓練にもなる。

本を読むのは単なる楽しみで行っているので、別にどんな読み方だろうが構わないし、本を読まなくても生きていく上では困らない。困らないけど読む。本を読めと誰かに強制するつもりもないが、自分としては本を読む力(というものがあったとしたら)を少しでもつけて、本を読むのをもっと楽しみたい。

フィクションでもノンフィクションでも本を読むこと自体をもっと楽しみたいというのが、その根底にある。(くどいな)

というわけで、読書会に参加するのは、1)本を読む力をもっとつけて、本を読むことをもっと楽しみたい、2)読む本の種類を広げたい、という動機がある。

本をどう読むか、何の本を読むか、ということである。

本好きが紹介する本の話を聞いているのは楽しいし、その楽しさを共有したい。なので、本の紹介を聞くとその本を読みたくなるし、自分と違う楽しみ方をした人の読書体験をなぞりながら、自分の楽しみ方を広げていきたい。

読書というのは身体性を持っていると感じている。同じ本を部屋で読むのと、旅先で読むのは違う体験だ。10代で読むのと、30代、50代で読むのは違う体験だ。

本を読むことで自分の変化を知ることができる。

東京読書サミットで紹介された書籍を順不同で紹介する。どれもこれも興味深い。ネットじゃなくて本屋で手にとって購入してみたいと思った。

トップバッターはスマートニュースの藤村さんのお勧めだ。村上龍はTVのレポーターとして露出も多いので若い人たちは彼がすごい作家だということを知らない可能性がある。個人的にはコインロッカー・ベイビーズがベストだと思っているが、読書家の藤村さんはあえて「テニスボーイの憂鬱」を紹介していた。自分は未読だ。内容はバブル期のどうでもいい長編恋愛小説らしい。その内容はどうでもいいのだけど(すごいdisりっすね)、食に対する村上龍の描写力はスゴいとのことだった。ねっとりした質感とか突き抜けた何かとか。これは読んだ方がいいかもしれない。人間の食欲というのが、生存のために食うのではなく、快楽として、あるいは楽しみとしてあるとしたら、そこにエクストリームな表現があって、文学の到達点なのかもしれないと思った。

LINEの佐々木さんのご紹介は遠野物語だ。ご自身が東北出身ということで紹介されていた。ライブドア時代に書評ブログを書いていたら、社長の目に止まって、気がついたら執行役員になっていたというエピソードは、本を読んで偉くなるとして印象に残った(脳内変換です、すいません)。柳田邦男とか民俗学とか、自分が踏み込んだことのない領域なので、めちゃくちゃ興味を持った。昔話とか民話に出てくる妖怪というのも興味深い。知人に妖怪になりたい人がいるのだけど、彼を思い出しながら話を聞いていた。

自分は、「虚数の情緒」を紹介した。本書は何度も取り上げているので、ここでは繰り返さないが、この本によって数学という表現形式に対する苦手意識が減った気がする。ちょっとは数学と仲良くなれた。

今回、このイベントをきっかけに私の知る限り3人の方が購入していた。ウヒョー。嬉しい。虚数の情緒について熱く語り合いたいと思った。


イベントの後半は各テーブル4人位づつで自分の大切な一冊を紹介していくというワークショップになった。それぞれのテーブルで一番支持を得た人がチームを代表してみんなの前で発表し、会場全体で最も票を集めた発表を優勝とするというビブリオバトル形式で行われた。

むくつけなおじさん(失礼)が紹介したのが、愛人(ラマン)だ。取次の仕事をしているという自己紹介をされているので、本職の本好きなのだと思う。よく読書会とか行くらしい。むくつけなおじさんという風体に似合わない(ますます失礼でごめんなさい)本を紹介するというギャップ萌えである。読書会は女性が多いので、愛人(ラマン)は女性受けするという実用的なメリットがあるらしい。勉強になる。発表のインパクトで一位を取っていた。おめでとうございます。

新卒の若者が紹介したのが、カーネギーの「人を動かす」だ。誰かを支配してやろうと思って読むのではなくて、大切な人と仲良くなりたい時に読むと語っていたのが印象的だった。自己啓発書の棚に置いてある本という印象で、自分としては敬遠するタイプの本だが、食わず嫌いはよろしくないなあと思った次第である。読んでみたいと思った。

毛沢東の書籍は一冊も読んだことがない。どんな人物か実のところほとんど知らない。「革命は、暴動であり、一つの階級が他の階級を打倒する激烈な行動である」というのがどのような文脈で記されているか興味を持った。


さくらももこの自伝的エッセイ「ひとりずもう」。本をあんまり読まないので難しい本は持ってこれないんですという自己紹介が良かった。

今回紹介された本で、唯一読んだことがあるのが、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」だ。村上龍のデビュー作で芥川賞受賞作だ。高校生か大学1年生の時にリアルタイムで読んだ。ドラッグとセックスと暴力に満ちている村上龍の作風を強烈に印象付けた。当時読んだ時、全くもってピンとこなかった。40年経ってみて、自分の感想がどう変わるか興味深い。再読してみようと思った。


読書会は面白い。何を読むのか、どう読むのか。自分の読書の幅を確実に広げてくれる。読書を楽しむための訓練の場として自分は利用している。

*1:「ジェイン・オースティンの読書会 (ちくま文庫)」はジェインオースティンという作家の読書会を題材にした小説だ