未来のいつか/hyoshiokの日記

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歴史とは何か (岩波新書)、E.H.カー著、清水幾太郎訳、読了、濫読日記風 2018、その52

歴史とは何か (岩波新書)を読んだ。

岩波書店の「図書」の臨時増刊で「はじめての新書」という岩波新書創刊80年記念号の中に本書を見つけた。多くの人が推薦している。この「はじめての新書」は積読製造器だ。というか岩波新書は読みたい本の宝庫だ。なんでこんなに読みたい本があるんだろうか、恐ろしい新書の塊である。

「歴史とは現在と過去との対話である。現在に生きる私たちは、過去を主体的にとらえることなしに未来への展望を立てることはできない」

「1961年の1月から3月にかけて、E・H・カーは、ケンブリッジ大学で『歴史とは何か』と題する連続公演を行い、同年秋、これを書物として出版した。この岩波新書『歴史とは何か』は、その全訳である」(はしがき)

過去を見る新しい眼が求められている。

自分にとっての「歴史」というのは過去にあった事をその年代とともに覚えるという中学生的な歴史観である。典型的な暗記物科目であって、正直あまり興味のない分野であった。

本書はそのような幼稚な歴史観を覆す。幾ら何でもいい年をした大人が中二的歴史観を持つのはやめたほうがいい。という事を痛切に認識した。恥ずかしい。

本書は丁寧に「歴史的事実とは何か」をとく。

私たちが知っている歴史は、その歴史を記した人々が選んだ重要な事項を恣意的に記述したものである。征服者の視点であって「奴隷」の視点ではない。奴隷がどのような生活をしていたか我々はほとんど知らない。(12ページ)

カーは「歴史とは何か」に対する答えとして「歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間につきることを知らぬ対話なのであります」(40ページ)とする。

欧米人が記した歴史書を今読んでみると、その史観はまさに征服者の視点であることに気がつく。その前提を疑う歴史観に触れるとそこに新しさを見出したりする。

自分にとっての本書の意義は、そのような歴史に対する視点をもたらしてくれたことである。おすすめだ。



濫読日記風 2018