王様の耳はロバの耳
わたしは一体なにものなんだろう。
時々思う。
やりたいことがあって、好きなものがあって、それを仕事にして、だけど孤独で。
孤独という意味は自分の気持をだれにも理解されていないという風に勝手に思い、それは自分の気持を誰にも伝えていないからに他ならないのだけど、ともかくそう思い、その努力を十分していなくて、それについてウスウスそうは思っていても、それを直視することに躊躇いがあり、そのためらいが、まさに、王様は裸だであり、王様の耳はロバの耳である。
人生上手くいくことと上手くいかないことと二分法で語れば、上手くいく事というのを自分の思いどおりに行くことと定義すれば、世の中ほとんどの事は上手くいかない。そんなのはわかりきったことである。わざわざブログにおいて世界に情報発信する必要はない。
にもかかわらず、わざわざここに記すのは、人生上手くいかない事がほとんどだとしても、そんなクソクラエの状況をあえて世界に情報発信することではなく、ちょっとした確かな幸せをみんなでわかちあいたい。強くそう思う。
時々思うのは、シリコンバレーにいたころの自分だ。30代後半のおじさんとして、なぜここシリコンバレーにいるのかを常に自分に問いていた。自分の存在証明を求めていた。
正直に告白しよう。
わたしはシリコンバレーの地で恐れおののいていた。
言葉も通じなければ今までの自分のプロフェッショナルなものが通用するとは全く思っていなかった。にもかかわらず、自分はここにいる。この存在証明、アリバイをこの地に残したかった。それだけで日々過していた。
なぜ、あなたはこの地にいるのですか。
これほどシンプルな問いにわたしは精密な回答を持っていなかった。しかし、それに対し誠実に答えようという気持はもちろんあったし、誠実に答える努力はしていた。自分が何者であるか、何者になりたいのか、なぜこの地いにるのか、その問いに対し、無意識ではいられないのが自分にとってのシリコンバレーであった。
なんでそんなに肩肘をはるのか。
そう思う。自分でもそう思う。今でもそう思う。
なんでそんなに肩肘をはるのか。
金曜日の夜ののぞみ97号(東京駅20時30分発)は一仕事終えた人達で満員だ。
東京へ出張したサラリーマン。単身赴任のお父さん。遠距離恋愛の人。皆それぞれの人生がある。
この列車に乗る人々の人生がある。
ふと思う。
その人たちの声を聞いてみたい。会ったことも話したこともない人の声を聞いてみたい。それぞれの人生があり、それぞれの苦悩と喜びがあり、それぞれの人生を聞いてみたい。
なんでそんなことを考えたのか厳密に記すことは難しい。世の中は自分が思っているほど上手くいかない。だけど、自分が思っているほど悪いことばかりではない。そんな感じがする。
そして、そこに生きている人々はシリコンバレーという地で生きている人々とどれほど違うのか。もちろん違わない。
アルファブロガーアワードに参加して、自分はなぜブログあるいは日記と称されるものを記しているのか。考えた。
この日記を読んでいる人に一つだけ伝えることがあるとしたら、たった一つ伝えることがあるとしたら、人生はあなたが思っているほど悪くはないし、つまらなくもない。もちろん思っているほど上手くいかないとしてもだ。
そんなことを「のぞみ97号」に乗りながら思った。