未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

クリスマスにまつわる思い出

クリスマスというのはキリスト教徒が祝う宗教的な行事だということは日本ではほとんど意識されていない。わかぞーが異性といちゃいちゃする日つーかバブルのころは高級ホテルは何ヵ月も前から予約でいっぱい。

1989年の年末。当時Nashuaという米国New Hampshire 州(どこだか知っている?)の片田舎に住んでいたのだが仕事の後ESL (English as Second Language) という英語の教室に通っていた。ESLはその名のとおり英語を母国語としない人々のための英語教室で先生は近所のボランティアのおばさんであった。

その教室で誰かが「今年最後の授業の日は、みんなでクリスマスパーティをやろう〜」と提案した。おお、いいアイデアだな、うんうん、とわたしは無条件に賛成をした。その中で一人ヨルダン出身のきりりとした美人が「わたしはキリスト教徒ではないので、クリスマスパーティであったら参加しない」ときっぱりと言いはなった。場は一瞬凍り付いた。その言い方に意志の強さを感じさせた。その教室の先生は「クリスマスパーティーはやりません。Year End Party (忘年会)をやりましょう」と言った。みんなでそれぞれの国の料理を持ちよってパーティーをしましょう。ヨルダン出身の彼女も笑顔で応じた。

わたしはその時初めて、メリークリスマスというのがあまりにも宗教的な言葉だということを意識した。誰彼構わずそのような言葉を言う事は正しくないという事も学んだ。あたり触りのないところで言えば、Happay HolidaysとかSeason's Greetingsとかが正しい。

宗教や価値観を越えて相互理解をするには我々はあまりに無知である。ESLのボランティアの教師は間違い無く国際人であった。世界中には多くの価値観があり宗教がありその中で相互に理解しあうかその方法論を自らの経験から学んで実践していた。ESLはボランティアと若干の補助金(?)に寄って運営されていると聞く。他国からの移民を受け入れることを前提にそのような仕組みがある。わたしはESLやそこでボランティアとして働く人々に米国の良心を感じた。わたしの好きな米国像である。

その年の Year End Party はすばらしかった。質素ではあるが愛情がこもっていた。

この季節になると、特に日本での街中のバカ騒ぎ見る度に、89年のESLの教室で学んだ事を思い出す。

http://www.asahi.com/international/update/1225/003.html
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20041223i213.htm