未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

八田真行のオープンソース考現学

http://blog.japan.zdnet.com/mhatta/?tag=c_right を読むが何か違和感を感じる。なんでだろうか?想像するに、八田氏の言うオープンソースの貢献者というのはボランティア(自発的な参加者)を暗黙のうちに仮定しているのではないだろうか。あくまで想像で言っているので、本当はどうかはわからないけどなんとなくそんな印象を持った。
昨今の主要なオープンソースソフトウェアの開発はボランティアが無償で行っているものではない、少なくともそれが多数派ではないという立場にわたしはいるから多分彼とは話が合わないのだろう。LinuxJBOSSMySQLPHPも開発の多くはその開発によって給与を支払われているプロによって行われている。もちろん無償のボランティアの貢献も非常に重要だしその重要性は失われていないがそれでもその開発力のバランスはアマチュア(それによって報酬を受けていない人)ではなく、プロ(それによって報酬を受けている人)に移ってきている。
だから彼の言う人材不足の一番簡単な解決方法はスポンサーを見つけることに尽きる。それ以下でもそれ以上でもなく、スポンサーをみつけることに尽きる。能力がどうだこうだというのはまったくのナンセンスである。市場では能力はお金で買えるのである。能力、時間はお金と交換可能というのが市場なのである。
さらに言えば、「無能」であればお金と交換することは難しいだろう。例えば、彼の言う「無能」な人が弊社に就職したいと言ってきたとしよう。我々は残念ながらお断りするだろう。「優秀」な人間しか採用できない。「優秀」な人間に、予算と時間といくばくかの設備(PCサーバとネットワーク)を与えればいいコードやいいドキュメントを作る。素人を何人集めても時間とお金の無駄である。そーゆー世界に我々は生きているのである。
オープンソースを持続可能なモデルにするには結局のところ市場とどうおりあいをつけるかということである。ビジネスにしてそれをまわすためにはどうするかを考えない限り、発展は見込めない。ボランティアに過度に依存するのは危険だし不健全である。
彼にトラックバックを張っているhttp://wordpress.rauru-block.org/?p=560を読むと、オープンソースとビジネスを対立する軸として捉えているが、それをどうにかおりあいをつけるために日々苦労しているのが(苦労なんかはしていないけど、本当は)、試行錯誤をしているのがわれわれオープンソースでビジネスをしているものである。
http://kobito.dnsalias.com/kobito/mt/archives/2005/09/30_021903.php もボランティアを前提としている。だから袋小路にはまっていることにそろそろ気がついたほうがいい。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50112719.html 大御所もオープンソースの開発でビジネスという発想はないのだろうか?金をもらって開発にクローズもオープンもないのだけど。
http://www.rubyist.net/~matz/20050928.html#p02 まつもとさんの違和感はそれで収入を得ているプロだからだと思う。多分。(違うかもしれないけど)
http://d.hatena.ne.jp/codemaniax/20050930/1128060359 のご近所さんと仕事をした経験から言うと、お金と時間で解決する程度の問題はいっぱいあるつーことで。
おれにお金と時間を与えてくれ、いいコードを書く。というのがプロのプログラマである。