未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

オープンソースソフトウェアとフリーソフトウェア

ご存知のようにオープンソースソフトウェアというのはNetscapeソースコードを公開したころにその蛮勇を支援するためにEric RaymondやLarry Augastineらが考え出したフリーソフトウェアに対して与えたマーケティングメッセージみたいなものである。オープンソースソフトウェアをソースコードのライセンスとして捉えるのは誤解とまでは言わないが正しい理解からは遠い。
フリーソフトウェアは、Richard Stallmanがソフトウェアの独占的に利用に対し自分の経験からの信念により、ソフトウェアの自由がなによりも重要だという立場である。そしてその自由を保障するためにGPLというライセンスを発明した。Richard Stallmanは世の中のソフトウェアがすべてGPLになれば世界はよりよくなると信じている。
オープンソースソフトウェアというマーケティングメッセージを作り出した人達はGPLそのものには強いこだわりはない。ソースコードを公開することによる価値の創造やビジネス的な可能性を感じている。バザールモデルによるソフトウェア開発方法論の革新性に可能性を信じている。オープンソースソフトウェアとフリーソフトウェアは似ているがその思想的な背景は随分違う。
Richard StallmanはEric Raymondらがソフトウェアの自由の重要性を過小評価していると批難をする。一方でEricらはRichardのかたくなさに居心地の悪さを感じている。犬猿の仲である。犬猿の仲ではあるが、Eric Raymondも認めているようにRichard StallmanGPLを発明しなかったら今の世界はなかっただろう。RichardもEricらの活動がなかったらGPLのコードがこれほどまで世界中で開発されることはなかっただろうと認めている。かつては悪の権化のように思っていたIBMですら今ではGPLのコードを書いているとRichard Stallmanは言っている。主義主張は必ずしも一致しないがそれがGPLの力である。フリーでないソフトウェアが世界を席巻するよりも遥かにましだと彼は思っている。オープンソースにはそのような清濁併せ呑むような力がある。
そしてまさにわたしはそのようなオープンソースの力を信じているのである。そしてその力を信じているからこそオープンソースの世界をもっと広げたいと思っているし持続可能な形で発展させていくにはどうしたらよいかということに思いを馳せている。http://d.hatena.ne.jp/hyoshiok/20051004#p2で記したかったことはそのようなことである。