未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

中学生のときの思い出(電子計算機事始め)

パソコンはじめたきっかけってなんすか、というあまりにも素朴な質問にわたしは答えないといけないような気がした飲み会であった。

自分がコンピュータに興味を持ったときにはもちろんパソコンもPCというものもなかった。その当時は、電子計算機と呼ばれる特殊な機械であった。自分は当時中学生で、中学生が電子計算機にふれる機会というのは、そうはなかった。そうはなかったのであるが、自分は、私立の付属の中学にいたおかげで、電子計算機にふれる機会を幸運ながら得た。中学一年生。1971年である。

大学生が夏休みに一週間電子計算機講座というのを開催して、それを付属中学の生徒が受講するという講座があった。学年とわず自由参加で、興味を持った生徒が参加するというセミナーであった。

もちろんわたしは電子計算機なるものがなにであるか、なにができるか、どのような仕組みで動いているかなど全く予備知識なしに、それに参加することにした。なんでそれに参加したいと思ったか今となってはもはやわかるすべもない。記憶の彼方にある。

中学生にとって、電子計算機という得体のしれないものは、その神秘性がゆえに、興味をそそられるものがあったし、なにか新しいものを感じさせるものがあった。

実体を知らないがゆえに興味をひかれた。

電子計算機というものは、中央処理装置があり、記憶装置、入出力装置、外部記憶装置からなる、などという講義を朝から聞くのであるが、中学生には正直チンプンカンプンである。なんだよ中央処理装置ってという感じである。

中学生にいきなりアセンブリ言語を教えるというのも無茶な話であるが、それ以外の選択肢というのも正直ほとんどなかったように思う。

中央処理装置にはアキュームレータというものがあり、記憶装置にあるデータを、計算するのだうんぬんかんぬん、記憶装置からアキュームレータにデータを移すのが、Load Accumuratorという命令で、略してLAと書くとかいう話を朝から聞くのである。

中学生にとって、なんだよ、LOADってという世界である。ロードと言えば、タケルンバ卿か、ってな感じであるが、もちろん当時タケルンバ卿はいるわけもないし、いたとしてもわたしが知るよしもない。

accumuratorってのもよくわからない世界であるが、先生がそういうのなら、そうなのだろう。アキュームレータ。

アキュームレータにおいた、数字は足し算とか引き算とかかけ算とかができるらしい。足し算と引き算がそれほど難しくないがかけ算は桁あふれがおきるので若干難しい。割り算ともなると、桁あわせのために、シフトということをしなくてはいけなくて、それが算術シフトだ、どーだこーだとか言う説明を延々とうけるのだけど、チンプンカンプンである。

しかし、教科書に書いてあることをそのまま写経すると、講師の言ったとおりの結果は得られるので、それはそれで面白かった。

アキュームレータもメモリも入出力装置もなにがなんだかよくわからないまま、人に言われるがまま、なにかを打ち込んでいたら、何がなんだかわからないまま結果が出た。それが自分が望んでいたものなのか、そうでないものかはもちろん中学生の自分には皆目見当がつかなかったが、それでも、自分が何がしかのことをしたら機械が何がしかの反応をしたということは純粋におもしろいと思った。

アセンブリ言語というのは、そもそも、というような講義を受けたとは思うのだけど、これも正直どこまで理解していたかは定かではない。定かではないが、電子計算機には、中央処理装置、記憶装置、入出力装置、外部記憶装置というものがあるということは、詳細はわからないなりも、そういうものだという理解はした。

中央処理装置には、演算装置というものがあり、足し算とか引き算とか高速にできるということは理解した。どのくらい高速かというと、光の速度で演算できるという風に聞いたが、光の速度で演算できるという意味が実のところ、よくわからなかった。だけど、講師がそういうのならば多分そういうことなのであろう、ぐらいの理解であった。

電子計算機は二進数をもとにして計算をしています、と講師は言う。それで、基礎としての二進数を習う。二の補数、一の補数なども習う。人生において二の補数を知っていたからといって、何かいいことがあったかどうかはわからないが、ともかく二の補数についての知識を得た中学生である。

二の補数を使うと引き算は足し算として計算できて便利ですねと大学生の講師は言うのだけど、だからどうなのと思う中学生である。あんたの都合で二の補数とかだしてきたんじゃないのかと思うのだけど、さすがにそんなことは聞かない。

その講義に使った計算機は主記憶が16K語で一語が24ビットからなる。今のPCの感覚からすると何それという感じであるが、それが当時の中型電子計算機である。

電子計算機というのは、四六時中空調ついているそれ専用の部屋に鎮座ましましているしろものであった。

その計算機は冷蔵庫を横に何個かならべたような大きなものであった。それができることには限りはあったが不思議な魅力をかもしだしていた。

夏休みの電子計算機講座は、高校の校舎でおこなわれていて、もちろんエアコンなんかあるわけもなく、夏の暑い日に、うだーとしながら講義を聞いていた。

午前中講義、午後実習みたいな流れなのであるが、午後の実習は計算機室でやるので、エアコンががんがん効いていて寒いくらいの感じである。

午前中はうだー、午後は寒い、だけど夏の酷暑はしのげるぞ、という感じである。

午前中に習った話をそのまま午後実習で試してみる。入力方法はIBM80桁のパンチカードだ。一行一行パンチカードにプログラムを打っていく。電動タイプライタを巨大にしたような機械(穿孔機(せんこうき))にカードをくべて、キーボードを打つと対応するコードがパンチカードに穴として打ちこまれる。文字の修正はdeleteキーを押すのではなく、一行全てとっかえという男前な方法をとる。スペルミスも何もかも一行全とっかえである。従って、キー入力は慎重に慎重をかさねおこなうのであるが、タイプライターの鍵盤をいじるのもはじめてなので、一行入力するだけでぐったりという感じでもあった。*1

パンチカードの入力も、大きなカードリーダが、ものすごい勢いで、がががとカードを読みこみ、出力は、ラインプリンターでがががと出力する。騒音が大変である。コンピュータルームでは雑音との戦いである。

入出力には何がしかのおまじないがあり、それに従って命令をくべるとラインプリンタに印刷されたりした。

そんなこんなでともかく24ビット計算機の講義を一週間うけたのである。

なにがなんだか正直よくわからなかったのだが、それでも、自分を魅了する何かがあった。何に魅了されたのか今となっては定かではないし、よく覚えていないのだが、とてもワクワクする何ものかがそこにはあった。それがわたしの電子計算機事始めである。