未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

「その話、長いよ」という話を高松でした。

セキュリティ&プログラミングキャンプキャラバンは最後のフリーディスカッションのコーナーがあって、質疑応答を自由に講師陣と行う。毎回毎回、おもしろい質問が出て、わたし自身大変楽しんでいる。

いろいろ個人的にツボにはまる質問があって、話すと長くなるんだがというようなエピソードを毎回ご披露させていただいている。

前回の高松でも、いろいろ質問が出た。徳島から来ていた人*1が勉強会を開催することについて質問してきた。

その話長いよ。ということで、カーネル読書会を開催したきっかけについて、お話した。カーネル読書会の思い出*2で記したような事をしゃべった。カーネルを読もうなんていう人間はそうは多くはいるとは思わなかった。数人でもいいと思った。それがやってみたら数人どころじゃなくて20人、30人集まって、すごく楽しかった。それがきっかけ。シリコンバレーにいたころ、会社とか組織とか年齢とか、そーゆーものをすっとばして、技術について自由闊達に議論しているコミュニティがあって、それが素晴しいと思い、日本にもそのような場所ができたらいいなと思っていた。結果としてカーネル読書会のような場が、それだということを後から気がついたのだけど、最初から何か壮大な戦略があって、設計して、それを作ったというよりも結果として、そのような場になった。

インターネットの時代、情報はほとんどネットにあるのに、なんでわざわざ会って勉強会なんか開くのか、会うことになんで、そこまでこだわるかという人もいるけど、情報流通のコストがどんどん安くなればなるほど、わざわざ会うことの希少性がまし、相対的な価値が高まると思う。会わなければ感じることのできない空気とか匂いとかアナログなライブ感とか、そーゆーものの重要性がどんどん増しているような気がする。99%はディジタルに伝わるとしても1%のアナログ的な何かが重要だと思う。

例えば、Steve JobsStanford大学の卒業の祝辞なんてのは、インターネットでタダで聞ける。昔はStanfordに行くのに数百万円あるいは一千万円近くかかったのに、それがタダで聞ける。ネットのおかげで機会は満ちあふれている。だけど、じゃあ、Stanfordに行く価値がゼロになったかというと、全然そんなことはない。ディジタルな情報はコピーできるけど、クラスで議論したりクラスメートと会ったりというアナログなところはコピーできない。

先日カーネル読書会番外編をやったのだけど、そこには中学二年生が来ていた。いつか中学二年生が来ると思って、カーネル読書会をやっていたわけではなく楽しいからやっていただけで、そうしたら中学生が来た。将来の夢はOSを作ることですと彼は言うわけだけど、君だったらできるから、君だったら作れるから、と大人は盛り上がっちゃうわけで、そーゆー奇跡が勉強会をやっていると起る。それは勉強会を続けていたから起った奇跡だと思う。

最初は数人でいいと思う。とりあえづ勉強会やってみて、うまくいけばいいし、うまくいかなければ、その時考えるで、いいんじゃないでしょうか。

とかいうような話をしたのだけど、脳内再生なので、言っていることいないことを、重要なエピソードがすっぽり抜けているかもしれないけど、そんな雰囲気で話した。

キャンプにしろキャラバンにしろ、これはライブのおもしろさにつきる。参加者と講師の一期一会のライブである。トラックに機材をつめて各地のライブハウスをツアーする、新人バンドみたいなものである(バンド経験がないからよくわからないけどw)。なかなかブレークしないし、スケールしないんだけど、一人一人と向きあって、一人一人にメッセージを届ける。もしわれわれの発しているメッセージに力があれば、それは多分届くと思うし、力がなければ届かない。ハリボテではなく正真正銘、等身大のメッセージだ。肌にあわないと思う人もいるかもしれないし、共感してくれる人もいるかもしれない。自分の言葉を信じて、続けていくしかない。

わたしのセッションのスライドも公開する。

セキュリティ&プログラミングキャンプキャラバン2008高松、プログラミング基礎、インターネットが変えた社会

参加者の日記など
セキュリティ&プログラミングキャンプ・キャラバン2008 高松/青(ryの中から http://d.hatena.ne.jp/GOT4416/20081220/p2

勉強会勉強会 (勉強会の運営についてのコミュニティ) http://groups.google.co.jp/group/metacon

注:カーネル読書会の思い出のリンクが間違っていたので修正した。