未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

Linux Collaboration Summit 2010

4/14-16、サンフランシスコで開催のLinux Collaboration Summitに来ている。*1

アジェンダは次を参照のこと http://events.linuxfoundation.org/events/collaboration-summit/agenda

簡単に初日のセッションの報告および感想を記す。

Keynote: Welcome and State of the Linux Union, Jim Zemlin, Executive Director at The Linux Foundation

Jim ZemlinのキーノートでCollaboration Summit 2010 は幕を開けた。
Linuxの成功の要素を、(1)コスト(無償)、(2)新しいデバイスへの対応、(3)サービスへの移行とまとめた。(3)はITのビジネスモデルがソフトウェアのライセンス料を顧客から得るものから、価値の中心がネットワークのサービスに移行し、キャリヤへの通信料や、広告などから収入を得るモデルへとなってきた。その時、インターネットの向こう側にあるサービスを提供する事業者はOSにLinuxを採用した。
課題は、(1)協調(Cooperation)、(2)ライセンスへの統一的な保護、(3)Free and Fabulousである。(1)は言うまでもなく、アップストリームへの貢献。独自のパッチを独自で保守するのではなく、公開し、メインラインヘマージする。これは、保守コストを極めて低くするもっとも経済的な方法である。(2)ライセンス(パテントなども含む)への攻撃などをオープンソース陣営として統一して保護する必要がある。(3)自由(free)でとってもわくわく(fabulous)するようにしないといけない。どちらも重要である。iPadはfabulousであるが、自由ではない。Richard Stallmanは自由を強調するが、fabulousではない。どっちも重要である。

Keynote: 10+ Years of Linux at IBM, Dr. Daniel Frye, Vice President, Open Systems Development at IBM and Board Member at The Linux Foundation

Dan FryeはIBMでのLinuxの歴史(タイムライン)をまとめた。

1998: Internet Bubbleのころ。9月3日。Linuxとは何か、誰が利用しているのか、なぜ利用しているのか、いかに利用しているのかなどの議論があった。12月2日、Linuxを開始すべきという提案を出した。
1999:3月、LinuxWorldにIBMとして初めて参加した。まったく準備不足でひどいものだった。8月、Linux Technology Center(LTC)発足。9月23日、ビジネスプランの制定。
2000年12月12日IBMLinuxへ2001年に10億ドル投資すると発表した。Linuxへの注力を行い250名以上のフルタイムの開発者をLTCはかかえ、全社的なマーケティングを行った。

経験から学んだこと。
(1)オープンに開発すること。スケーラビリティ、ファイルシステム、ボリュームマネジメントなどに課題があると考えて、様々なソフトウェアを提供したがうまくいかなかった。オープンなコミュニケーションが十分ではなかった。Linuxの開発はすべて社外のメーリングリストを利用してコミュニケーションすることにした。社内での調整は禁じた。変更はいきなり大きな塊で出すのではなく少しずつ出すようにした。2003年の夏にLinux 2.6が出たが、IBMの評価では、まだまだ(We're not ready)であった。そして2003年の結論はLinuxベースのソルーションを作ることである。
(2)車輪の再発明をしない。独自のプロジェクトを立ち上げるのではなく、既存のプロジェクトへ入り込む。そして、これが一番重要なことであるが、開発者をコミュニティへ送り込む。2004年〜2005年LinuxIBM内で完全にメインストリームになった。
(3)プロセスとともに働く。早い段階からコミュニティへ入り、ゴールを説明し、ユーザの協力を願い出る。2006年〜2007年、ビジネスクリティカル(そしてグリーン)なワークロードに注力。2008年〜現在。IBMは完全にLinuxオープンソースへコミットしている。

感想

これは、すごい。IBMという巨人がどのようにしてLinuxへコミットしていったかの歴史を赤裸々に語っていた。
オープンソースのコミュニティと付き合ってそこから得た教訓というのも、言葉にすると単純な原理原則のように感じられるかもしれないが、そこには10年以上の経験に裏打ちされた失敗と成功からくる珠玉のメッセージがある。
大企業がコミュニティという得体の知れないものを組織としてどう理解していくか。コミュニティをコントロールしようとしてはいけない。そもそも誰もコントロールできないのであるが、それに気がつくまでにどれだけの時間がかかるのだろうか、IBMは例えばそのようなことを自ら学んで行く。
2000年前後、Linuxエンタープライズ分野で利用するにはスケーラビリティの問題等があった。そこでIBMLinux Scalability Projectなどを立ち上げたが、コミュニティからは十分な支持を得られなかった。これを失敗であったと自ら総括するのもすごいが、そこから学ぶ姿勢もすごい。
社内で、密室で議論をすることを禁じて、Linuxの技術の議論はLinux Kernel Mailing Listや公開されているMailing Listで、社員同士であっても、議論する。そのようにした。
独自のプロジェクトを立ち上げるのではなく、既存のプロジェクトに参加する。人々はエゴがあるので、第三者が立ち上げたプロジェクトに参加するのは言うほど簡単ではない。自分がコントロールできないコミュニティに身を任せるのは不安である。その不安にどのように打ち勝つのか。それは経験者でなければなかなか分からないものである。
そしてマネジメントにとって一番重要なことは、開発者をコミュニティへ送り込むことである。IBMはそれをやった。ファイルシステムの専門家をコミュニティに送る。省電力の専門家をコミュニティへ送る。メインフレームの専門家、スケーラビリティの専門家、数々の開発者を惜しげもなくLinuxオープンソースのコミュニティへ参加させた。それをずっと行ってきた。それがLTCの歴史である。
IBMLinuxオープンソースに完全にコミットしている。世界最大のパトロンである。単なるリップサービスではない。その実績がそれを物語っている。
VPという要職にある人が自分の経験からLinuxおよびオープンソースコミュニティの歩き方を自分の言葉で語ったセッションであった。IBMにはオープンソースについて深く理解しているVPがいる。それがIBMの大変な強みになっていると感じた。
初日のセッションの圧巻であった。