禅とオートバイ修理技術を読んだ。
@kakutaniにお勧めされて禅とオートバイ修理技術を読んだ。禅の本でもなければ、オートバイ修理技術の本でもない。では何の本なのか。
一種のロードムービー仕立てになっている。主人公は息子クリスと友人夫妻とでオートバイによる旅にでる。ミネアポリスからカリフォルニアまでオートバイでいく。いったいどのくらいの距離があるのだろう。*1
ロードムービーと言うのは、主人公が旅をしながら、様々な問題に直面し、それを乗り越えることによって成長していくという骨格をもった物語で、本書はまさにその形式に則っている。
バイクによる旅なんてことをいうとわたしの世代ではイージーライダーなのであるが、60年代のヒッピー世代を彷彿とさせる物語になっている。
自分もいつの日か全米を車で(オートバイはさすがに体力的にきつそうなので)旅をしてみたいと思っているのだが、ハイウェイをひたすら西に行くというのにそこはかとなく憧れる。
それはともかく、物事に対する見方として、インスピレーションや想像力によって、直感的、創造的に理解する立場と、理性または法則よって理解する立場がある。前者が「芸術」で、後者が「科学」である。そして、物事を理解するには定義できないといけないのであるが、その定義そのものができないものもある。「クオリティ」である。そして、その探求がひとつのテーマになっている。
QWAN (Quality Without A Name) というのも、禅の無もそのようなものなのだろうか。
計測できないものは管理できない、という品質管理の立場があるが、それを超越する何物かがそこに存在するような気がしている。それを感じることはできるし、達人はそれをはっきりと観ているのであろう。そのような達人が到達したレベルに行くにはその達人に弟子入りして、言葉によらない修練をつんで自分でその技を獲得していかないといけない。
オートバイ修理というメタファーを使っていろいろおもしろい説明をこころみている。
溶接工にも二つのタイプがいると聞いたことがある。一方は生産に携わる溶接工で、もう一方は修理に携わる溶接工である。前者は狡猾な仕事が嫌いで、何度も同じことを繰り返す仕事を好む。後者は同じ仕事を二度することを嫌う。ここで忠告しておきたいのは、溶接工に仕事を頼んだら、どちらのタイプの人間かしっかり見きわめることだ。(下巻202頁)
本書の魅力を説明するのは難しい。読んでほしい。そして、考えるのではなく、感じてほしい。