未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

国際標準は誰が作るのか。(EPUB3のISO国際標準化作業で、日本が資金難による離脱の可能性。JEPAが支援金を呼びかけ)

http://www.publickey1.jp/blog/12/epub_3isojepa.html
読んだ。なかなか難しい問題である。自分の所属企業のではなく個人的な見解をしめしてみたい。(あたりまえだけど、いちいちこんなことを言わなくちゃいけないというのも堅苦しいけどしょうがない)

電子出版を手がけている企業にとって、電子出版の標準ができることには明確なメリットがある。

標準があれば、コンテンツを作る側も、それようのツールを作るベンダーも、読者も、それぞれのコストが下がって三方一両徳である。コンテンツを作る側は、各電子書籍リーダ独自のフォーマットにいちいち合わせなくてすむので、コストが下がるし、出版用ツールを作るベンダーも独自仕様を実装しなくていいので開発コストが下がるし、電子書籍リーダーのようなハードウェアを作るベンダーにももちろんメリットがある。何よりも本というコンテンツを消費するユーザーにとっては、独自フォーマットが乱立するより一本化してくれたほうがいいに決まっている。

日本は縦書きとかふりがなとか正書法が欧米の言語と違うのだから別に国内規格をつくって対応すればいいじゃないかという議論は正しくない。ガラパゴスで結構というのは、国内ユーザーに著しい不利益を生じさせる。

なぜか。

電子書籍フォーマットはEPUB3というデファクトでほぼ決まりなので、米国のベンダーは日本国内独自仕様を実装するという強いインセンティブはない。日本のユーザーは国内独自仕様を実装する独自ソフトで高いコスト(手間暇をかけた)コンテンツを高いコストを払って入手しなければならなくなる。独自仕様のハードは当然高いので、売れないし、さほど流通していない電子書籍リーダー向けに追加コストを払ってもコンテンツを提供するというのは商業的にあり得ないので、コンテンツも増えない。三方一両損。誰も得をしない。

だったら出版業界がEPUB3を推進するために、各種標準団体(この場合はISO)へ人を送って、標準化のイニシアチブを取ればいいようなもものどうもそうではないらしい。(それが前述のお話となる)

日本の出版業界の実情は詳しくないので、実のところよくわからないのだけど、EPUB3というのを黒船のように見立てていて、本音のところでは秩序を破壊する電子出版に関して極めて消極的、もっと言うと推進したくないのではないかとすら思えてしまう。

たとえ補助金をもらっても電子出版はやりたくない (https://sites.google.com/site/jepasite/message/tatoebuzhujinwomorattemodianzichubanhayaritakunai ) という刺激的なタイトルのメッセージでは、

経済産業省の「緊デジ(コンテンツ緊急電子化事業)」の集まりがよろしくないようだ。6万点のタイトルを集めようと始まった事業だが、9月28日時点で補助金達成率がなんと4.47パーセント! 基準を大幅に緩和して挽回を図っているようだが、まともな消化率を達成するのはほとんど絶望的だろう。

とのこと。

標準は必要だ。その建前は共有するけど、じゃあ、誰がやるんだ、お前の会社で手間暇コストかけて、人を出して、その標準化にコミットするかと問われれば、むにゃむにゃという感じだろう。

会社の企業戦略と標準がアラインしていれば経営層へのアピールし、現場の人間をおくるということは理屈の上ではあり得るけど、標準化活動にリソースを突っ込んだところでどれだけ売上や利益が増えるんだという素朴で全うな問いかけに、経営層に響くストーリーをわたしは持っていない。

これが国益にそうとかそわないとか大上段な物言いは現場にはむなしく響くだけだ。もっと生々しいご利益やわかりやすいストーリーが欲しい。

標準化活動に熱心だというイメージ戦略でPR活動やCSR活動の延長線上でやるというのも一つの方便ではあろう。しかし、そのような方法では持続しないし、正々堂々と本業の儲けに間接的、直接的に貢献するというのが正しいアプローチだと思う。

その点、AdobeAppleがEPUB3やHTML5に人を送って仕様を開発し、ソフトも作って公開するというのは、各社の製品戦略に則って、自社の製品をより有利にするために行っているというストーリーなので非常にわかりやすい。

標準化活動というのは製品やサービス開発と同様の重要性を持っているのだが、それを上手に言語化するすべをわたしは持っていない。特許や著作権の分野では専門家と称する人たちが様々な啓発活動をやっていて、特許戦略だとか著作権戦略を経営戦略の一環として位置づけることをしているけど、それと同様なことが標準化戦略として理解されているとは残念ながら言えない。

技術者にとって、標準化活動に参加するということは会社の枠を超えた世界中のエキスパートと一緒に仕事をするので大変貴重な経験を積めるし、世界中のベストプラクティスを世界で最初に経験するというまたとない機会を得られる。社内にそれを認めてくれる人がいれば自分のキャリアの上でもプラスだ。グローバルで活躍する機会も増える。

経営にとってのわかりやすいストーリーが今まさに必要とされている。それはいったいなんなのだろうか。AppleGoogleにできて自社にできないとしたら、どうすればいいのだろうか。皆様のお知恵を拝借したい。

おまけ:
縦書き、ふりがなは標準的なブラウザーでも実装されている。 http://www.inter-locale.com/demos/iuc35/kasumakura/kusamakura_20110222.html