ソフトウェアの国際化 http://d.hatena.ne.jp/miurahr/20040415
三浦さん id:miurahr が語っている。
わたしの思い出話。
国際化と言ってもいろいろなレベルがあるわけで、昔はそのあたりの理解が十分でなかったので各社各製品各様で独自に日本語化などを苦労してやっていた。
その経験をつむにつれ各製品の独自性、特殊性によらない共通の属性というのが徐々にあきらかになってきて、それを一般化したフレームワークとしての国際化という概念が構築されていった。
1980年代中ごろだったと思う。
DECのベストセラー端末VT-100(ターミナルエミュレータでもよくつかわれている)の後継機でVT-200というのあって、それに8ビット文字コード(DEC-MCS)が搭載されていた。
VT-100には各国語版があって英国のターミナルには£がフランスのターミナルにはなんちゃらというような感じでISO646の各国語版を実装していたのだが、それをDEC-MCSというコードで統一してそれをVT-200というターミナルに実装した。そのコードが後のISO-8859-1になった。
当時(80年代初頭)のVMS(そーゆーOSがあったのだ)のエンジニアリングチームは、各国語版でばらばらだったデバイスドライバー等のリエンジニアリングをしていて、VT-200向けにコードをクリーンナップしていった。その一つがコードの8ビット化で、当時、VMSの中にはUS ASCII依存(7ビット)の部分が多数あって、それを全部修正すると結構気のとおくなるような仕事をしたのである。
同時に、VMSの中にあったメッセージ等(英語)をきりわけ、それをコードとは別にすることに成功した。同様にHELP filesなども翻訳可能なかたちにして、メッセージやHELPを実行時に切替られるようにした。
フランス語やドイツ語の場合、入力メソッドも特に複雑なものは必要ないのでドライバレベルで入力メソッドが実装されたのである。日本語の場合はかな漢字変換が必要なのでちょっと複雑である。
初期の国際化フレームワークはまづ欧州の言語で実装されたのである。