未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

パソコンの登場

わたしは誰に指摘されるまでもなくPC世代の人間だ。

まつもとゆきひろさんのhttp://www.rubyist.net/~matz/20040618.html#p01からの孫引きで 山田祥平のRe:config.sys http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2004/0618/config005.htm

鶴岡雄二翻訳/浜野保樹監修「アラン・ケイ」(アスキー、1992年)

今から500年前の中世ヨーロッパにでかけていって、グーテンベルグが発明した印刷術を評価することを依頼されたとしよう。たぶん、われわれは自信を持って、印刷術は普及しないと断定するにちがいない。その理由は次のようになる。第一に、印刷はきわめて高価であるから写学生の筆写に価格面で太刀打ちできない。第二に、ほとんどの人が読み書きを知らないのだから、複製を大量に必要とする市場がない。第三に、一五世紀当時は、本当に重要な問題は宗教に限られており、個人のプライベートな内面の思想の問題であったため、これは印刷物によって伝達できる内容ではない。それ故に、印刷術は絶対に普及しない。普通の観察力と判断力を持つ人ならば、かならずやそう断言したであろう。

達観だ。まさに、パソコンが登場したときにも、同様のことが思われていなかっただろうか。

わたしが大学に入学した1977年、パソコンの原型ともいえるAPPLE-II、Tandy Radio Shack TRS-80そしてCommodore PETが発売された。

わたしは大学に入ってありあまる時間を持て余していて、あるコンピュータのサークルに入った。女子学生とお友達になるためである。今考えてもわかりやすい動機である。女子学生とお友達になるのならテニスサークルとかほかにもっといいサークルがあるだろうと思わないでもないが工学部でしかもクラスに女子学生が一人もいないという状況だったので、それにテニスはどーもという感じだったので特に考えることもなくコンピュータのサークルに入ったのである。

新入生歓迎の講演会かなんかでその当時のコンピュータ界の重鎮かなんかを呼んで話を聞いた。確かマイクロコンピュータがどうだこうだという話だった。

わたしは高校時代に日経サイエンスIntelが開発したというマイクロプロセッサの記事を見ていたので興味津々で話を聞きにいった。マイクロプロセッサというのは超集積回路LSI)でコンピュータの心臓部がひとつになっているうんぬんかんぬんという解説とともにそのLSIの拡大写真が載っていた。1975年前後の記事だと思う。約30年前の話だ。その拡大写真はとてもセクシーだった。LSIの配線に不思議な感銘を受けた。このマイクロプロセッサを利用すれば自分専用のコンピュータを作ることができる。マイコンピュータである。そーゆーことを夢想した。

さて、その新入生歓迎講演会の席で誰かが質問をした。「いつかいまのテレビと同じくらいの価格でコンピュータが発売されることはあるでしょうか?」その重鎮は即座に自信を持って断言した。「ありえないです。テレビとかラジオとか、そーゆーものより非常に複雑で需要がほとんどないものが、テレビと同様な値段で発売されることはありえないです。」

もちろん歴史は彼の見解を否定した。しかし業界の支配的な見解は彼のようなものであったことは間違いない。

わたしは彼の見解を聞きながら反論する気は毛頭なかったのであるが、後にPCと呼ばれるものが今すぐそこまで来ていることをはっきりと確信していた。

そしてコンビニのバイトでためたお金でTRS-80を(米国から直接)購入した。そのTRS-80は多分実家のどこかで埃をかぶっている。

1981年にIBM-PCがそして1984年にMacが登場する前夜の話である。