未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

フロアからの質問

オープンソースカンファレンス2004 http://osc.ospn.jp/オープンソースビジネスというパネルディスカッションに出る。司会は三浦さん、パネリストは日立の杉田さん、10アートニの喜多さん、Linux好き事務員の菅さん、そしてわたし。まあ適当に自己紹介し、いろいろしゃべっていたのだが、フロアから質問が出た。質問の詳細は実はよく覚えていないのだが、これからどんなキャリアを積んで行きたいか?あるいはどのようなエンジニア像を目指していたか?みたいなニュアンスの質問だったかと思う。

むむむ、そーゆー難しい質問は答えられない。と頭の中が真っ白になるので、とりあえづ、杉田さんに話をふって考え込む。

自分の昔を振り替える。学校を卒業し外資系の今は無きコンピュータベンダーに就職する。一応研究開発センターというところだから、その部門で開発はしている。わたしはソフトウェアの開発をすることを職業にしたわけだ。米国で作られたものを日本語化したり、日本向けのソフトウェアを作ったりするのがわたしの仕事である。その時わたしは誰かに語るようなビジョンを持っていたのだろうか?20年後に自分に語れるようなビジョンを持っていたのだろうか?考え込む。

ソフトウェア開発についてわかったようなつもりになっていた。もちろんブルックスのソフトウェア開発の神話 ISBN:4894716658 は読んだ事があったし、プログラミング言語も一通り読み書きできた。ソフトウェアのデバッグはデバッガーでやるのだと言う事を先輩エンジニアから教わり、ひょえー力仕事だなあ、もっとエレガントな方法はないのか?とか生意気にも思う。プログラムの証明なんていう研究分野はあることはあったが今に至るまで実用化されていない。まあ、要するに頭でっかちで使えない新入社員であった。

もちろん先輩の背中を見ながら育った部分はあるにはあるのだがそれ以上にわたしに強い影響を与えたのは海の向こうの本物のエンジニア達であった。東海岸ニューハンプシャー州の田舎に開発拠点はあるのだが本物のエンジニアと一緒に仕事をするためには東海岸に行く必要があった。

話が長くなるので一気にはしょるが一流のエンジニアと一緒に仕事をするためにはわたしの選択肢としてはその会社に就職し(外資系の大手企業だ)、東海岸の開発拠点に行かなければならなかった。日本でも優秀な人は大手企業いっぱいいるのでまあ似たような話と言えば言えなくもない。よーするに大きいところに行けみたいなお話になってしまう。

ちょっと話は変わるのだけど、OSC2004でFirebirdというオープンソースRDBMSについての基調講演があった。そのエンジンはDEC Rdbのエンジニアが開発したのだが、DEC Rdbは後にOracleに買収されOracle Rdbという製品になった。このエンジンはOracle 10gとか9iとかの系列とは全くことなるものなのだけれど翻訳をしていたかたが素人(?)だったのかOracle RDBMSという風に訳されていて、まあ、言ってみれば誤訳なんだけど、誰も気にしていない。わたしは気にするけどね。

それはともかく。

オープンソースの世界では、その手の大手企業に勤めなくとも超一流の人と一緒に仕事をすることは原理的には可能だ。自分のキャリアを高めるという機会に満ち満ちている。評価は非常にオープンだ。いいコードを書けばリスペクトされるし、そうでなければ相手にされない。

十分にウォーミングアップをすればいきなり大リーグに行けると言う世界である。昔に比べれば絶対今の方が技術者としてキャリアを積む上で恵まれている。王や長嶋は大リーグに行けなかったけど、野茂やイチローや松井は大リーグに行ける時代なのだ。

一つの会社に閉じ籠る必要はない。オープンソースと言う道具を使って会社を横断したコラボレーションができる、そーゆ時代なのである。

後は自分の意志だ。未来を決めるのは自分の意志である。