未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

Rdbの実装

仕様と実装の話が延々と続いて申し訳ない。80年代はプログラミング言語やデータベース言語そしてOSなどにとってソフトウェアの国際化というのはどういうものなのかという問に対する試行錯誤の時代であった。
インターネット以前の時代なので残念ながら当時の資料はほとんどネットワーク上には残っていない。紙の上の資料でしかない。D社時代のメールも当然ないので、当時どのような議論をしたか精密に再現できないのはちょっと残念である。わたしのあやふやな記憶、それもそーとーアヤシイ、で書くのもなんではあるが。
後にSQL 92として知られるSQLの規格の開発は多分80年代中ごろから行われていて、日本からも日本語処理をより一般化した各国語処理機能として提案されていた。その日本の提案をより一般化したのがJim Melton (SQL Technical Editor、当時DEC所属)である。彼の提案書にはSQLの国際化について詳細な議論が展開されていたが手元に原本が無いのでいつどのような事を書いたか確認できないのが残念である。わたしの記憶では89年9月に米国DECのRdbチームとの合同ミーティングでSQL標準の国際化アーキテクチャが議論されたように思う。なぜ9月というのを覚えているかと言うと10月末にわたしは東海岸New Hampshire州Nashuaという田舎町にあるRdbチームの開発拠点に赴任し、その直前になんかミーティングをしたよなあという記憶があるからである。
当時の日本のチームは、日本提案のNCHARというのを実装しようとしていたのである。