未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

中国シフト

猫も杓子も中国である。わたしが中国をIT業界という文脈で強く意識したのは2003年8月である。
2003年6月ミラクル・リナックスは創立以来3度目の社長交替をし、創立以来4人目の社長を向かえた。設立4年目の会社として毎年の社長交替はいかがなものかと揶揄もされた。
当時Red Hat社はRed Hat Enterprise Linuxを発表し市場ではMIRACLE LINUXともろにバッティングをしはじめていた。2000年世界で初めて我々がサポートを表明したエンタープライズリナックス分野へRed Hatが参入してきていた。エンタープライズリナックスでは、長期的なサポート、長い製品リリースサイクルなどが必須となるが、どれも我々が世界に先駆けて提供してきたものである。
2000年当時のリナックスというのは、3ヵ月毎に製品のアップデートがあって、リナックスディストリビューションはユーザーに製品のアップデートを強いていた。そしてその上に載る各種アプリケーションの動作確認はユーザーの責任においてなされるということを前提としていた。また、サポートも半年ないし長くても一年程度で切れると言うのが常であった。それに対して我々は当初から企業向けのディストリビューションを目指し、製品のリリースサイクルを1年ないし1年半程度の比較的長いサイクルとした。これは業務アプリケーションの展開、アップグレードなどを考慮すれば、長い方が好ましいためである。またその上で動くアプリケーションの互換性維持のために多大な努力をはらうことを当初からコミットした。特にOracleとの親和性を売り物にしていたので、徹底的にOracleのcertification(検証)を行った。長いサポートというのは当初から5年ないし6年のサポートを表明していた。当時そのような長期サポートを表明するディストリビューションはなかった。ある意味狂気の沙汰である。Linuxというのは「自己責任」で利用するものだという「常識」に「商用サポート」の提供をコミットした会社だったからだ。もちろんサポート料金は頂戴する。そのサポートに価値を見出す顧客はそのサポートを喜んで購入する。日本ではサポートは無料であるというのはウソである。必要であれば顧客はサポートを購入するのである。それはともかく本当の意味での企業向けリナックスディストリビューションというのは当時存在しなかったのである。ちなみにLinux Kernel V2.2をベースにしたMIRACLE LINUX V1.xは発売以来4年を経過しているが今だにサポートを続けている。世界中でそのようなディストリビューションは多分弊社ぐらいだろう。すくなくともRed Hat社はとっくにサポートを打ち切っている。企業向けリナックスが持つべきスタンダードを設定したという自負はある。それが2000年の夏である。
それから3年たって、リナックス業界では、数々の淘汰があり北米においてはRed Hatの一人勝ちの様相を呈して来たのが2003年ころである。Red Hat Enterprise Linuxのコンセプトはまさに我々が2000年に打ち上げたコンセプトそのものではないかという思いもあった。
(中国のお話にたどり着く前に紙面が尽きた。というか長くなりすぎたので、気が向いたら続きを書く。かもしれない。)