未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

日記を書くこととオープンソースソフトウェアに関わること

Hardcoded さんからトラックバックをいただいた。 Blog 悲観論にモノ申す
http://www.dmtj.net/pm/archives/000040.php

例えばの話、超優れた職業プログラマがいてさ、その人がオープンソース・コミュニティに参加もしくは貢献しないといってそれを責める権利はどこのどいつも持っちゃいないのよ。Blog だって同じことが言えると思わないか?

あ、多分梅田さんの意図を誤解していると思う。

梅田 Blog論2005年バージョン(2)
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20050426/p1 裏切られた期待として、

大組織に属する超一流の技術者や経営者が本気でBlogを書くということも、どうも日本では起こりそうもない。

と悲観している。確かにその印象はある。日本の大企業に属する超一流の誰かが実名でBlogを書くという状況は想像しにくい。一人や二人でなくて何万人も専門家がその専門について日々記すと言う状況は考えにくい。

期待が裏切られたから、だめだという話ではなくて、現状は梅田さんの期待どおりではないというだけのお話だと思う。

まあ、彼がどう思っているかはわたしはわからないのだけど、わたしの立ち位置は次のような感じである。
日本において、国際競争力のあるソフトウェア製品を作った経験のある超優れた職業プログラマというのはそれほど多くはないと思うのだけど、そーゆー人の少なからずは大企業の奥深くにいるような気がする。富士通や日立やNEC東芝やNTTやIBMやらなんやらにいるような気がする。でもって、そーゆー人は別にオープンソースのコミュニティになんか参加したりしない。参加する強いインセンティブはない。わたしは、そーゆー人がオープンソースのコミュニティに参加しないことを責めたりはしない。絶対しない。だけど、残念だと強く思う。なぜか?
職業的プログラマとして現役を続けるためには、大げさなことを言えば、死ぬまで勉強を続けなければならない。あ、勉強といっても、別に机に向かって暗記物をやるということではないですよ、もちろん。プロのアスリートが現役でいるために引退するまで常にトレーニングを続けなければならないのと同じだ。日本という地域で現役であり続けることは非常に難しい。自分の技術を切磋琢磨するためには常にアンテナをはって勉強をしていなければならいのだけど自分の会社のプロジェクトだけでそのような経験を積めるのだろうか?かつては商用ソフトウェアの開発が人を育てたが、そのような機会が日本で急速になくなっているという状況を鑑みると、日本という地域で優れた職業的プログラマであり続けるというのは絶望的に難しい。そして35歳で引退する。彼または彼女の経験、知識、ノウハウは引退とともに死蔵される。これは大変な損失なのではないか?個人にとっても一企業にとっても日本という地域にとってもIT産業にとっても、社会にとっても。その経験、知識、ノウハウを個人としてコミュニティに還元していただければどれだけ素晴らしいかと強く思う。
コミュニティに参加しないことを責めはしない。しかし、わたしは自分の経験から言う。コミュニティに参加することには数々の有形無形のメリットがある。楽しいから、自分の職業的専門性を高めることに役立つから、いろいろな人と知り合いになれるから、…、数々の有形無形のメリットがあるから参加するのである。わたしはわたしと同じように感じる人を一人でも多く欲しいので多くの人々をコミュニティに引き釣り込んだ。そーゆー作業を続けている。カーネル読書会もそうだ。
コミュニティに参加することが自分にとってメリットがあるということを経験を通じて理解してもらうというのがわたしの立ち位置である。まあいらぬお世話と思わないこともない。分かる人は分かるが分からない人は多分分からない。言葉で説明することは非常に難しい。
会社を作ってから大企業の人たちといろいろビジネスでのお付き合いやコミュニティでのお付き合いがあったが、「オープンソースの開発で飯を食う」という夢を実現するためには一人でも多くの大企業の中にいる超優秀なプログラマをこっち側に引き釣り込むということをずうっとやってきたような気がする。大企業の一人一人の技術者にとって直接的なインセンティブはまだ見えにくいが、大企業がオープンソースをビジネスにしつつあるという好機を捉えていろいろな仕組を考えていきたいと思う。