未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

オープンソースの開発で飯を食う

リナ飯(Linuxで飯を食う)とかオプ飯(オープンソースで飯を食う)とかとオープンソースのボランティア活動はまったく直交している。独立した事象であるとわたしは思う。
生活のためにコードを書く人は昔も今も明日もいるだろうし、趣味でコードを書く人も、(コードを書きたいから書く人も)、昔も今も明日もいるだろう。プロもいればアマチュアもいる。それによって金銭的な報酬を受けている人もいれば受けていない人もいる。金銭的な報酬ではなくコミュニティからの尊敬を受けている人もいれば受けていない人もいる。自己の満足度を金銭的報酬以外のものに求める人もいればそうでない人もいる。
お金だけですべてを語るのは間違いである。もちろんそう思う。しかしオープンソースソフトウェアの開発と言うだけで過度に自己実現のためにコードを書く人が多数だと言うような言説はいかがかと思う。ソフトウェアの多くは趣味で自分のためにだけ書かれた公開も再利用もされないものだとしても、多くの人に継続的に利用されているソフトウェアはある種の専門性をもったエキスパートによって書かれているし、そのような人達によって保守されている。その人達は別に霞を食って生きているわけではなくなんらかの報酬は必要だ。もちろん金銭的な報酬だけとは言わないけれど最低限のなにがしかは必要だと思う。
企業がOSSの開発に乗り出してくると当然のことながらコミュニティとの利益相反が生じる可能性がある。コミュニティの重鎮を雇用したとして、コミュニティの総意と会社の意向に対立が生じる可能性は常にある。どのように折り合いをつけていくかがコミュニティアライアンスの妙技となる。その妙技に長けた企業はコミュニティとのアライアンスによってより有利な立場につけるし、そうでない企業はコミュニティとのコンフリクトによって長い目で見れば損失をこうむることになる。
てなことを考えるとOSSの開発で飯を食うためにはコミュニティとの付き合い方の上手な会社を見つけ出してそこに就職するというのが手っ取り早いかなと思ったりするのだが、そんな会社がみあたらなかったら自分で作ってしまえ、と若者をあおる今日この頃である。