未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

質問力

シンポジウムなどで、質疑応答の機会がわざわざ設けられているのに、なかなか質問がでない。質疑応答は大抵低調だったりする。

質問をするということに関し、誰もその重要性や価値を、わざわざ教えてくれない。質問をすることを奨励する人もいなかったりするし、質問をしたことによって、何かいいことがあったかというと、ほとんどなかったりする。むしろ、学生のころから、教師からあてられることはあっても自らがしがし質問をして授業を受けるというスタイルをほとんど経験していない。社会人になっても、質問どころか自由な喧喧諤諤の議論というのは、ほとんど経験しない。…というような人が多いのではないかと想像するがどうなんだろうか。

ばかな質問をしたら恥しいと思っていたりするのだろうか。話が難しすぎて、質問そのものができないということなのだろうか。質問をすると発表者の機嫌をそこねると思っているのだろうか。

一方、海外のカンファレンスでは質疑応答が大変活発で、発表中にも質問というかコメントというか、その手のものが飛び交ったりする。質疑を含めての発表というスタイルである。残念ながら日本人で積極的に質問と挙手している人を見ることはもちろんいないことはないけど少ない。

わたしが質問をするようになったのは、卒業して就職した最初の会社が外資系で、そこでの経験かもしれない。社内では質問をすることが奨励されていた。ソフトウェアの国際化アーキテクチャを設計するプロジェクトに参加した時、ひたすら質問をしていたし、質問をすることを励まされた。Gayn Wintersというコーポレイトコンサルティングエンジニア(エンジニアの職位として一番上の人)が、わたしが質問すると"Good Question"とかいって、ともかく質問することがいいことだということを教えてくれた。この"Good Question"というのは単なる慣用句であることを後に知ったのであるが、それでも質問をしなければ参加していないも同然という空気があったことは確かである。

質問することには価値がある。質問することによって質問者だけではなく、参加者、発表者ともに価値がある。全ての人に価値がある。そのような質問をするにはどうすればいいのか。

質問をすることを自分の宿題にする。なんでもいいので、質問をすることを自分の課題とする。最初の質問をするのには、勇気がいるが、質問をしたところで、誰もバカになんかしないし、万が一バカにされてもいいではないかと思う。質問をきっかけに、議論が深まれば、皆の利益だ。誰も損をする人はいない。

どんな質問でもいいから一個質問をするとノルマを課す。シンポジウムなど聴衆が100人を越えている会場の場合、ちょっとした勇気と行動力が必要になるが、あらかじめ質問を用意しておく。質問するためには、ちゃんと発表を聞かないといけないので、参加も能動的になって、自分にもプラスだ。発表をぐーすか寝ていて質問をすることは流石にできないので、一石二鳥である。

勉強会は、その質問力を養成する格好の場所になる。人数も少ないし、質問をする敷居も随分低い。皆、楽しそうに質疑応答をしている。

どのようにして質問力をつけるか。じっくり考えたい。