未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

英語化の弊害

タイムラインに英語化の弊害とかいうのが流れて来て『デキル人がダメ人間に見える』みたいなのを目撃する。
そーゆーのあるよなーとか思う。
でも、日本という地域でデキルと思われていても、世界に出るとガラパゴスってのはよくある話で、結局だめなんじゃんということか。身も蓋もない話で救いがないなー。
とか思ったのだが、この気持ちを精密に言語化できないので、推敲なしに脳内の思いをだだ漏れしてみる。
わたしの英語の原体験はDECとかOracleとか米国系企業の日本法人に勤めていたころにさかのぼる。DEC時代も米国本社に出向する機会はあったのだけど、本当のところはOracle時代、片道切符で米国本社でぺーぺーのエンジニアで働いた経験だ。
当時はもちろんインターネットが商用化した前後で、欲しい情報も十分にあったわけではないし、Oracleの米国本社でエンジニアとして働くということがどのようなことかの情報もまったくと言ってなかった。1995年ころのお話である。
日本のプロ野球の選手が大リーグに行くようなものである。(自分の感覚で言うと)
英語は通じないし、自分の言いたいことを英語で言うことはできないし、相手の言っていることの半分どころか下手すると2割もわからないし、誰かが話をしていて、周りがどっと受ける、大爆笑の時も、なんで笑っているのか全然わからないし、いったいどーやって生き残っていくんだ、この地でと思った。
技術者として、どーにかこーにか、一人前とは言わないけれど、素人ではないくらいのつもりはあったので、バッターボックスに立たせてもらったという僥倖に感謝はすれどどーやってサバイブするのか、そもそも、この地でサバイブできるのか、まったくもって自信がない日々を送っていた。
DECという会社に居たので、Oracleに転職した時点でUnixとかSun OSの実務経験はまったくなかった。gdbemacsもCもUnixgccも全く以て実務経験がなかった。しかも35歳のおじさんでだぜ。ワイルドだ。無謀すぎる。ありえない。
DEC Rdbで、DEC VMSでVAXでなんていうのは所詮DECという会社のプロプライエタリな世界で井の中の蛙ガラパゴスの世界である。
そんなおやじがいきなりシリコンバレーOracleである。いつクビになるか、自分の技術が通用するのか、見逃しの三振で、ご苦労様、お帰りください。そーゆー世界である。
びびりまくりながら1995年7月米国Oracleに赴任した。
ソフトウェアの日本語化の経験はある。ソフトウェアの国際化、それがいったいどのようなものか、言語化はされていなかったが、その経験もまがりなりにある。コンピュータによる文字コードの知識もあるし、日本工業規格を作る委員会にいた経験もある。履歴書的には見栄えのする経歴も持っている。
だけど、その程度のことでこのシリコンバレーで生きていけるのか。ビビりまくっていた。
その時の思いがインターネットのアーカイブに残っている。http://web.archive.org/web/19990220084805/http://www.best.com/~yoshioka/d/95/10/i950831.html
かの地に行って2ヶ月。『明日のミーティングでわたしの書いたスペック認めさせて
それで2週間のバケーションだ. どだ.まいったか.』
精一杯肩肘張っている自分がいる。今だから言える。泣きながらスペックを書いていて、議論して、全然通じなくて、なんでこんなところに来ちゃったんだろうと思って、だけど、自分が選んだ道なんだから。と歯を食いしばっていた自分がいる。
がんばれ自分。Beer Bash http://web.archive.org/web/19990220172309/http://www.best.com/~yoshioka/d/95/10/i951006.html
英語なんかクソだ。
心の底からそう思う。だけど、たかが英語で自分の伝えたいことを伝えられなかった自分が1995年にいた。
ソフトウェアの国際化に関して素人に一から文字コードのことを教え、ローカリゼーションのことを教え、どー考えてもそれはないだろうという判断に対して言葉で説明しきれなくて、枕を涙で濡らした。
母国語で技術的なディスカッションをしたいと心から思った。
それがわたしの英語の原点だ。
コンプレックスが原体験だ。
英語が話せないというだけで、相手にされない世界がある。それをわたしは1995年に知った。いい悪いではなく、そーゆーところがある。
技術力さえあればどーにかなる。理想的にはそのとおりだと思う。
だけど、その技術力というのはノーベル賞レベルの突出したものでなければならないような気がする。野茂やイチローでなければ到達できないようなことではないか。
カタコトでも英語は出来た方がいい。excuse me, I have a question と言おう。その勇気がサバイブするために必要だ。自分は17年前英語はできなかったけど、そのフレーズを唯一のライフジャケットとして持っていた。