未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

国会図書館の著作権切れの図書の公開の件

著作権切れ書籍データのネット公開停止 出版社側からの抗議に国会図書館が折れる」という記事が話題になっていた。 *1

国立国会図書館が「近代デジタルライブラリー」でインターネットに無料公開していた著作権の切れた書籍が、当分の間、館内での閲覧だけに制限されることになった。
ネット公開について出版社側から抗議があり、国会図書館が検討会議をした結果、「出版事業の維持に直接の影響を与える可能性を現時点では否定できない」として、当面インターネットでの提供を停止する。

著作権が切れているので、それのネットでの公開は法的には問題がない。

一方で、出版社の社長は下記のような立場を取っている。

http://blog.calil.jp/2013/06/digital.html
大正新脩大蔵経』全88巻が突然近デジ上に公開されたのが2007年。この本は現在も刊行中で、1冊2万円もする高価なものです。国会図書館にすぐ抗議しましたが、著者没後50年を経ており著作権保護期間が切れている、正当だという理由で取り合ってもらえませんでした。
(略)
大蔵出版は大正時代に出版された『大正新脩大蔵経』をきちんと復刻して出版するという趣旨の会社。それを否定されたら残るものがありません。
(略)
大正新脩大蔵経』の現物はずっと売られ続けているし、ワンセット149万円(税抜)もする資料です。本書は1960年〜1979年の19年もかけて復刻したもの。昔の本の写真を1枚1枚撮って、本当に手間をかけている。1977年に遺族から著作権も買い取った。遺族との絆もある。そういう意味では、その50年後の2027年までは大蔵出版著作権保護期間であると考えることもできます。
(略)
今回の出版協の申し立てでは、著作権切れでも実際に流通しているものについては、近代デジタルライブラリーで公開しないでほしい旨を国立国会図書館に伝えました。また、著作権者がわからなくなっているものは、最初に復刻した出版者に著作権を付与するべきではないかとも伝えました。

なんか、著作権法をオレオレ解釈していてすごいとしかいいようがない、

著作権が切れたものを発掘して復刻すれば出版社が著作権を得るというのは、西部開拓時代みたいに、空き地に最初に塀を立てたものがその所有権を主張するというのに似ていて、むしろ微笑ましい主張ですらある。

復刻するには当然コストがかかるので、それを回収したいというのはビジネスとしては当然である。しかし、一巻2万円という値段が妥当な金額なのかは、ビジネスモデルによる。著作権が切れた書籍は誰が出版しようが自由にできるので、それに適した値段付けをするしかない。

今回のように誰かが無償公開したら、それ以上の付加価値がない限り、ビジネスとしてはなりたたない。

百科事典はかつては書籍として流通していたが、現在は電子媒体、オンラインが主流である。

インターネットという隕石が百科事典業界を徹底的に破壊してしまった。そして、その変化は不可逆的である。

今回の大蔵出版という会社は隕石によって氷河期が来た時代に滅びてしまった恐竜のような存在に思える。

出版の電子化は出版界にとっては隕石だ。