英語で学ぶ方法、英語の教科書を読む
ソフトウェア技術の定番の教科書は英語で書かれている。世界で最初に日本語で書かれることはまずない。
そこで、英語の定番の教科書を読書会するのをお勧めする。英語の本を一人で読むのは最初はちょっと敷居が高くて難しく感じる。読書会ならば少しずつ読めるし、理解を確認できるし、ちょっと分からないことがあっても参加者に聞くことができる。
何人か仲間を募って、定期的に集まって、章ごとに担当を決め、発表するという定番の方式でもいいし、本の感想を皆で言い合うという緩い形式でもいい。
参加者には、その技術についての共通の理解、語彙が出来るので、仕事にでも応用できる。
英語の本を英語で要約するのは意外と難しくない。章は節からなっていて、節をつなげると章の主張になる。節はさらに小節になっているので、小節をつなげると節になる。小節は段落からできているので、それぞれの段落で何を主張しているかを理解できれば、小節、節、章の構造があきらかになる。
小説と違って技術系の文書はこのように構造が明確なので理解は難しくない。
英語は必要になったとき学べばいいという人がいる。技術系の仕事をしていて技術を学ぶとき英語が必要ではないという状況はない。
機械翻訳が発達すれば英語を学ばなくても日本語で読めるようになるという人がいる。まあその可能性はゼロではないにしろ、それを言い訳に英語を学ばない戦略というのは危険だと思う。人それぞれなので、そういう人生をおくりたければおくればいいと思うけど。
ある技術が明確に言語化されて定番の教科書になるまでには時間がかかる。そしてその教科書が日本語に翻訳されるまでさらに数ヶ月から数年かかる。
それを日本語になるまで待つという戦略は時間的にリスクのある方法になる。すでにそれだけのハンディキャップをおっていることになる。到底おすすめできない。
英語化戦略を日本語で書いても説得力がないのではないかという指摘は、英語で書いた場合、英語を読まない人が読まないという状況がある。
ちなみに最近、プレゼンをするときには、日本語でお話をする場合でも、資料は英語で作っている。その方がいろいろ再利用しやすので。問題は英語だと文字ばっかりになってしまって、ライブなプレゼンになりにくい。修行が必要なところである。