未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

ハッカー民族誌

ハッカーズ、Hackers、スティーブン・レビー著、再読 - 未来のいつか/hyoshiokの日記で読んだハッカー達は、主に1960年代から70年代くらいまでの人たちだ。MITのテック鉄道模型クラブの連中とか、PC革命を引っ張っていった西海岸のハードウェアおたく達だ。

そして、70年代にソフトウェア産業が生まれ、ハッカー達がどんどん新興のベンダーに参加して、MITの研究所にあったようなコンピュータ好きというだけで生きていけたユートピアは消えた。

ティーブン・レビーは、ハッカーズのエピローグ「真正ハッカーの終焉」でリチャード・ストールマンが最後のハッカーとして孤軍奮闘している姿を描いている。AI研究所にいた多くのハッカー達がビジネスの世界に旅立っていったときに、彼だけが、最後までハッカー倫理を実現することを夢見て勝ち目のない戦いをしている。その悲観的な未来像でハッカーズは終わっている。80年代の前半はハッカー達がほぼ絶滅するという時代だった。かつてのハッカー達は、ビジネスの世界に移っていった。

ハッカーズにはもう一つのハッカー文化を作ったUnixのエピソードは出てこない。Bell研究所の利用されていないPDP-7というミニコンピュータで開発されたポータブルな対話型OSであるUnixはMITの一派からはおもちゃだと揶揄されていた。MITで利用されていたITS (Incompatible Time Sharing system)が真正ハッカー御用達のOSであった。

ITSが動くDECのPDP-10の生産が中止になって、ITSユーザの行き場がなくなり、多くのハッカーUnixの世界に移動して来た。それが1980年代後半である。

そして、ハッカーズ以降のハッカー民族誌がエリック・レイモンドによって記されるには10年近くの歳月を必要とした。
彼はMITの真正ハッカーの子孫としてではなく、80年代以降のUnix文化のハッカー達の語り部として、90年代以降精力的に文書を発表して来た。

ハッカーズ大辞典(The Jargon Fileとしてインターネットで公開されている)も面白いが、やはりHow to become a hacker/A Brief History of Hackerdom/The Revenge of the Hackersの三部作が面白い。山形訳があるので日本語でも読める。
How To Become A Hacker 山形訳ハッカーになろうは、ハッカーズ - 未来のいつか/hyoshiokの日記で紹介した。

ハッカー界小史

A Brief History of Hackerdom 山形訳ハッカー界小史
この文書は、MITの鉄道模型クラブに集まっていたハッカー達の話からはじまり、Unixの台頭、商用(独占)Unixの時代へて自由なUnixとしてLinuxを初めて紹介し、Webの大爆発(90年代中頃)で終わる。そして、ハッカー文化の担い手が、MITのハッカー達からUnixへ、そしてインターネットのハッカー達へ受け継がれていく。

ハッカー界小史をウェブ上に公開したのが1996年で、それ以降の歴史を記したのが、ハッカーの復讐になる。

The Revenge of the Hackers 中元他訳The Revenge of the Hackers(ハッカーの復讐)

ブルックスの法則として知られる、大規模なソフトウェア開発に於いては開発者の二乗に比例して開発の困難性がますという法則をLinuxのプロジェクトは解決しているように見える。その現象はいったいなんなのか?そのような疑問から始まる。

ベテランハッカーが失敗したフリーのUnixの作成を、素人の学生が趣味で作ってしまったと言う事実がエリック・レイモンドを驚かせる。ハッカーの伝統が突然変異を起こした。

特に計画もなく、精密な設計図がなくても、インターネットにソースコードを公開したら、ハッカー達が勝手によってたかって改良をしていって、結果としてすごいものが出来上がってしまったという奇跡である。

誰もがそんなやりかたでうまく行く筈がないと思った。どっかで破綻するはずだと思っていた。常識的に考えてもうまく行く訳がない。にもかかわらず、Linuxは大成功をおさめた。この非常識を理解するために書いたのがThe Cathedral and the Bazaarになる。山形浩生の訳が伽藍とバザールで読める。

80年代以前のレジェンドなハッカー達との大きな違いは、1)インターネットを手に入れたこと、2)バザールモデルというソフトウェア開発モデルを実践したこと。

それ以前のハッカー達は、MITの研究所のようなごく限られた人々にしかコミュニティーが開かれていなかった。

インターネットの時代になって、コミュニティーが文字通り世界中に開かれ、そして、「情報は自由に利用できなければならない」というハッカー倫理によって、とてつもない価値を生むことが可能であると言うことを実証してみせた。

そしてその時代のヒーローがLinuxを作ったLinus Torvaldsである。

バザールモデルを応用したのが、Netscapeソースコード公開で、レイモンド等は、それを機会にオープンソースというマーケティングキャンペーンをはり、大成功をおさめる。80年代に一時は消えかけたハッカー文化Netscapeソースコード公開をきっかけに息を吹き返したのである。

ハッカー達は、レイモンドが文書化するまで、自分たちが生み出している価値を認識することが出来なかった。自分たちですら何がすごいのか説明できなかった。

オープンソースをきっかけに、ハッカー達が生み出す価値を理解する企業家達が現れ、それが今のオープンソースの流れになる。

ハッカーとビジネスマン達が折り合いをつけたのがオープンソースの活動だったと言える。

The Cathedral and the Bazaarも再読しよう。
The Cathedral and the Bazaar