未来のいつか/hyoshiokの日記

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テクニウム、ケビン・ケリー著、読了

テクニウム――テクノロジーはどこへ向かうのか?を読んだ。

テクニウムとは「グローバルで大規模に相互に結ばれているテクノロジーのシステムをさすもの」としてケビン・ケリーが作った言葉である。”テクニウムはピカピカのハードウェアの範疇を超え、ありとあらゆる種類の文化、アート、社会組織、知的創造のすべてを含む言葉だ。それには手に触れることができない、ソフトウェアや法律、哲学概念なども含む。そして最も重要なことは、われわれが発明をし、より多くの道具を生み出し、それがもっと多くのテクノロジーの発明や自己を増強する結びつきを生み出すという、生成的な衝動を含んでいるということだ。”(18ページ)
本書では、複数のテクノロジーをさす場面でテクニウムという言葉を使う。例えば「テクニウムは数々のテクノロジーの発明を加速する」と使う。
ケビン・ケリーは雑誌「Wired」の創刊編集長であり、Whole Earth Reviewの出版者などで知られる。

"KevinKellySF" by Aeranis - Own work. Licensed under CC BY 3.0 via Wikimedia Commons.
さて、本書でケリーはテクノロジーはそれ自体、生物のように進化をすると主張する。人間が旧石器時代に道具を発明して以来、コンピュータにいたるまで、テクノロジーは進化する。”生物の遺伝的な進化を真似ている。両者は多くの特徴を共有している。両方のシステムは単純なものから複雑なものに、一般的なものから固有なものに、画一から多様へ、個人主義から相互主義に、エネルギー浪費型から高性能型へと進化し、緩慢な変化からより大きな進化性へと向かう。”53〜54ページ。
生物の進化において行われる「外適応」というのはテクニウムにおいては日常的に起こる。イノベーションである。

テクノロジーそのものが自律的に進化しているという主張は新しい。例えば、われわれはムーアの法則を理解しているが、ムーアの法則を発見する以前にもそれは存在していて、誰かが発見するのを待っていて、それが発見されるのは必然である。そして、それによってコンピュータは自律的に進化していく。
現在のテクノロジーを拒否した生活をおくっている米国のアーミッシュの生活を紹介している。アーミッシュは、電気を利用しないし、自動車も持たない。移動には馬車を利用する。電気を利用しない生活というのは想像もつかないが、そのような生活でも、遺伝子組み換えのトウモロコシを栽培するので、まるっきり現代的なテクノロジーと無縁というわけではない。確かに携帯電話もパソコンもインターネットもない生活ではあるが、外部との関わりがゼロということでもない。テクノロジーを全く使わないのではなくて、その導入のペースが極めてゆっくりだということなのである。
テクノロジーの進歩によって、われわれの選択肢が増える。そのことはいいことだと主張する。”多くの選択肢、機会、つながり、多様性、統一性、思想、美、問題を生む、これらが合わさってより大きな善となり、価値ある無限ゲームとなる”(410〜411ページ)
テクノロジーに対して極めて楽観的な立場の思想である。これはハッカー精神そのものである。
ハッカーがコンピュータによって世界をよくすることが出来る、美を生むことができると考えたようにケビン・ケリーはテクノロジーによって大きな善がなされると信じている。わたしはケビンの楽観主義に共感するものである。

参考書。(邦訳のあるもの)