不完全性定理―数学的体系のあゆみ (ちくま学芸文庫)、野崎明弘著、濫読日記風 2018、その14
不完全性定理―数学的体系のあゆみ (ちくま学芸文庫)を読んだ。
あることを好きとか嫌いとか誰でもあるのだけど、こと「数学」に関しては好き嫌いがはっきりしているような気がする。
高校時代の数学に良い思い出がなく気がつくと嫌いになっていたとか、進路を決めるときに大学入試を数学があるかないかで決めて、それが文系理系の分かれ道になったという人もいるかと思う。
好きと嫌いの軸以外にも数学が得意と不得意というのもある。ここで得意不得意というのは数学の試験の点数を取れるか取れないかという矮小化された評価軸だ。
高校時代の数学というのは、試験の問題を限られた時間内に素早く解くというスキルに特化されていて、大学入試はそのスキルを最大限に発揮する場になる。
数学の問題を解くというスキルにチューニングして行けば、じっくり考えることは時間がかかるのであまり推奨されなくて、過去問の出題パターンから効率よく正解を導き出すテクニックの取得が基本的な戦略になる。
数学のテストを解くというスキルは考えるスキルの訓練ではなくて暗記科目になる。
いいとか悪いとかではなくて受験勉強の弊害というのは結局そのようなところかと思う。
一方、それとは別に「数学」そのものを考えてみると、「抽象的な思考」を極限まで高めたものという感じになる。ものとしての「数」を触ることはできなくても、我々は概念としての「数」を理解しているし、それを扱うことができる。純粋な三角形というものは物理的には存在しないけど、概念としての三角形を思い浮かぶことはできる。
数学の考え方や言葉の使い方はいろいろなところで役に立つので、便利な道具として身につけたいと思うひとも多い。ちょうど便利な道具として英語を使えるようになりたいと思うのと似ている。
自分は学校の数学の試験には落第したクチだが、ずうっと数学と仲良くなりたいと思っている。数学の試験は不得意だが数学は好きだ、もっと好きになりたいという片思いの状況である。
ゲーデルの不完全性定理というものをいつか理解したいと思っているのだが、まだその思いは達成できていない。様々な入門書や解説書を読んでいるのだけど、わかったようなわからないような行ったり来たりを繰り返している。
別に不完全性定理を知らなかったところで生活には困らない。それを知ったところで何かご利益があるというものでもない。自分の知的好奇心が満たされるだけである。
しかしだからこそそれを知りたいと思う。
本書を読んで不完全性定理の深淵の極一部を見たような気もするし、幻想のような気もする。周縁をちょっと散歩しただけかもしれない。
20世紀の天才は何を考えたのか、それに思いを馳せるだけでもワクワクする。
ゲーデルの不完全性定理にまつわる旅はまだまだ終わりそうもない。自分はそれをとても楽しんでいる。
私は数学が好きだ。
濫読日記風 2018
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