自動車の社会的費用(岩波新書)、宇沢弘文著、濫読日記風 2018、その16
20世紀が大量生産、大量消費の世紀だったことを私たちは知っている。自動車がそのシンボルである。
自動車の普及ほど、戦後日本の高度経済成長の特徴を端的に表しているものはないであろう。(2ページ)
本書は1974年に発行された古典的名著だ。いまなをその輝きを失ってはいない。
自分は自動車の利便性を否定するものではない。自分の意思でいつでも自由に何処へでも移動できる。その利便性を得るために自動車を所有することは各自の自由である。ことさら取り立てて議論するつもりもない。
その一方で自動車によって引き起こされる様々な問題についても知っている。自動車による事故、環境破壊など直接的なものから道路建設にまつわる様々な問題が発生することも理解している。
本書は1974年という段階で自動車の社会的費用という概念を提唱した画期的なものとなっている。
自動車の利用においては利用者は一見直接的な費用を負担しているように見えるが、道路交通網の建設費用など各種社会インフラの費用、事故による経済的損失、環境破壊など外部不経済が発生している。このうち発生者が負担していない部分を何らかの方法で計測して、集計した額を社会的費用と呼んでいる。(80ページ)
本書では新古典派の理論が社会的費用の問題を扱ってこなかったことを批判している。(102ページ)
社会的共通資本として、大気、河川、土壌などの自然資本と、道路、橋、港湾など、社会資本と呼ばれているものがある。社会的共通資本として、自然資本や社会資本に入れることのできない、制度資本というべきもの存在する。司法・行政制度、管理通貨制度、金融制度などである。(124ページ)
新古典派は社会的共通資本の果たす役割について整合的に分析するフレームワークを用意していない(125ページ)
自分は社会的費用や社会的共通資本について十分知識を持っていなかったのでそれを考えるきっかけになった。
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