未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

博士号のとり方、E・M・フィリップス、D・S・ピュー著、角谷快彦訳、読了、濫読日記風2019、その1, #東京大学生物語

研究者の卵である。まだ孵化していない博士課程の1年生だ。博士課程を取得するとはどのようなことか実践的な経験はない(だから学生をやっているわけだ)。

本書はそのとり方についての指南書だ。単なるノウハウ集ではない。体系だったガイドブックだ。博士号取得の根源的な意義から、博士課程の学生になるということを説いている。

自分も昨年6月ごろに博士課程を取得するということについて深い知識もないまま(よくないパターンである)、ふと思い立ち大学院入試の説明を聞き、願書を出し、試験を受け(筆記テストと口頭試験)、今に至っている。

その間、何度か指導教員とお話をして、博士課程の学生としての心得を伺い、徐々に研究とはどのようなプロセスなのかというイメージを固めている。

博士号を取得するというプロジェクトはおそらく自分が思っているよりも多くの困難があり予測もつかないような壁にぶつかると思う。そのくらいの想像力はさすがにある。今までの会社員人生で様々なプロジェクトに関わってきてそこで得たプロジェクトマネジメント的なノウハウもまるっきり無駄ということはないとは思うが、それとはかなり性質が異なるということも想像はできる。

人類未踏の未知の問題を発見し、それが解くべき問題であると認識し、それをどうにか解く、そのような知識もスキルもあるということを論文という形で発表し専門家にそれを認めてもらうというプロセスが博士号を取るというプロセスになる。

知っていることと出来ることには雲泥の差がある。

訓練には長い、時には辛い作業が伴う。

プロジェクトは楽観的に始まり悲観的に終わるということを人生で学んできた。博士号を取るというプロジェクトもおそらくそうなると思う。

様々な困難をあらかじめ知ることがないので、このような蛮勇にチャレンジするのだと自分も思う。60歳の博士課程の学生は何年か後に、「いやーあんなに大変だと始めからわかっていたら、あんなことはしなかったよ、ガハハ」とか何とか言いそうな気もしなくはない。

同時にやってよかったと振り返る自分もいるような気がする。

本書はそのような博士号取得を志す卵に向けてのハンドブックだ。

第4章博士号を取得しない方法というのが本書の白眉だ。博士号取得を目指すものがはまりがちな落とし穴を書いている。博士号を取得しない9つの方法というのがそれだ。

その最初に「博士号を欲しがらない」というのを著者は挙げている。読者は何を言っているんだと思うかもしれない。少なくとも博士号をとりたいから本書を読んでいるのだと思う、しかし本当にそうかと著者は問う。博士号を取得するために「犠牲」になる時間や労力やコストを払ってでも本当にあなたは博士号を取得したいのか、と問う。

昨年6月に博士課程入学を考えた時に、のちに指導教員になる教授のお時間をいただいた。自分の中でも博士課程の学生になるということに対する具体的な確固たるイメージも十分持っていなかった(未だに十分とは言えないが)。平たく言えば安易に考えていたのである。社会人学生としてパートタイムで博士課程に入れないかと伺った。「よしおかさん、ガチでフルタイムで博士課程にいる若い学生さんと同じ土俵でやるんですよ、そんな簡単な話ではありません」というような趣旨のコメントをいただいた(細かいニュアンス、言い方はちょっと違うかもしれないが)

入学試験願書を書き、試験準備をしていくうちに徐々に自分の心づもりが変化していくのを感じた。なるほど自分は他に出来ることをやらないで、他のことを犠牲にしてまで博士課程に行きたいのか?

9月末には定年退職だ。ならば会社を辞めて学生になろう。自分は博士号が欲しい。自分にはまだその能力・スキルが足りていない。学生になってその訓練をしよう。その時決意した。

第4章を読んで、ここに書かれていることは、自分のために書かれていることだと強く思った。

本書は博士号取得を目指している学生向けの本であることは間違いないのだが、それと同時にそのような学生を指導する教員向けの実践的なガイドになっている。学生が陥りやすい落とし穴を記している(第4章)だけではなく、第12章には指導と審査の仕方が詳細に書かれていて、参考になると思う。

付録に学生のための研究進捗度自己診断チェックリストがある。自分に正直になって、すべての項目で「強くそう思う」にチェックをつけたいと思った。